はちみつと焼酎

BTS 방탄소년단/SUGA. 日本語訳など

日本語訳)キム・ヨンデさんのIU評

주간 문학동네

キム・ヨンデさんの連載、第9回がIUだったんですが、最初にSUGAがプロデュースしたEightが取り上げられていることもあり、訳してみました。すごいボリューム。できればこの分量でBTSの一人一人を書いて欲しいかも(笑)。

   



IUの音楽、イ・ジウンの心

 

「Eight」は駆け抜けるロックバンドのさわやかなサウンドにもかかわらず、「forever young」という希望をふっと込めたサビと、笑みをたたえたIUの表情にもかかわらず、若さの賛歌ではない。若い天才アーティストたちにとって最も不安な時期としてしばしば指摘されてきた28歳という年齢を過ごしながら感じた彼女の不安と喪失感、郷愁、それでも手放せない希望についての歌だ。23歳の葛藤を超えて25歳になったIUは「Pallet」で「少し分かったみたい自分を」と歌ったが、私はそれが希望的な気づきというよりは、一種の「明け渡し」に近いと感じた。三年後のIUは依然として無力感と疲労と戦っていて、28歳という年齢を意識して、ついに自ら幸せなのかと問いかけ「すべて失ったよう」と告白する。彼女は「オレンジの太陽の下で踊った」あの夢のようなある日、そんな時があったのかさえおぼろげになった、その漠然とした過去を思い浮かべる。戻れないことを知り、現実にはならないことを知っているから、彼女は「forever young」を叫び永遠に存在できるまさにその記憶のなかに、自身の幸せを剝製にする。現実と想像の境界があいまいな映画「インセプション」でのある不完全な幸せのように。しかしそうやってでも彼女は28歳の日々を耐え抜く。

 

IUの音楽は疑いようもなく成長の年代記だ。なりたい自分と、人々が求める自分との間の葛藤だ。これはIUというアーティストの自意識をつくる最も重要なモチベーションだ。私が意識する自分と、自分が気づいていなかった自分の間の解けない緊張に、聞く人を引き入れ音楽に没入させる。しかし物語のなかのすべての「私」がIUでなかったことは一度もない。IUは世間にさらけ出すイメージを完璧にコントロールしているように見えながらも、時には自主的に、ときには自ら気づいていない恐れと疑いから非常に弱々しくなることがある。何をしても人々を納得させられるという自信は、彼女をどんな音楽でも邪魔されることなく作り出す力強いアーティストの姿に見せるが、世間の誰も、逆に自分自身でもよく分からないという感情の脆さが、彼女をしばしば限りなく内面的なアーティストにもしてきた。

 

人々はこのように簡単に断定できない複雑な顔を持つアーティストに対し、本能的に畏怖の念と拒否感を同時に抱くものである。一方で耐えがたいほどの熱烈な賛辞を送るかと思えば、また一方ではすべての人がアイドルである彼女を抜け目なく計算高いアーティストとして警戒し嫉妬する。IUは誰よりも人々の期待をよく知っているが、ただ目の前の商業的な成功だけのために、誰かの期待や望み通りにコントロールされるアイドルであることは拒否してきた。彼女は自分がやりたいことを、自分ができる範囲において一番彼女らしい方法で消化する、最も模範的なアーティストでありながら、自分の対外的なイメージとアーティストである自我の間で常に主導権を持つことができる、K-POP史上で最も自我の強いアイドルである。

 

「秘密」はIUだ。その長大な叙事詩は、彼女をいまだに「Good Day」を歌った初々しい10代の少女歌手として記憶していた私に、その存在を新しく刻みつけた。自分の全世界になってしまった愛する人の前で小さくためらう気持ちを引き出すことができなくて、結局隠しながらだんだん増えていく秘密になぞらえた歌詞は、大人への最後の一歩を踏み出した少女の気持ちを美しく描写する。この曲は単純にボーカルのテクニックの多寡だけを語れば良いというものではない。IUが最も心残りがある曲だと語ったほど、曲のスケールと感情表現で限りなく難しい曲だ。フレディー・マーキュリーのロックオペラのように、この曲はエンディングの瞬間まで一度たりとも感情のデクレッシェンドを許さない。「グラスについた水滴」で描かれる透明なときめきを表現する繊細な声、翼をつけて夜空を飛ぶ気持ちで「あなたの心に私が来る」と痛切に祈る切実な響き、そして部屋中を満たす風が「満ちて満ちて流れていく」と残る気持ちを爆発させる声に至るまで、変幻自在な感情を、当時18歳でしかなかったIUの声が伝えている。この曲の核の部分をより華麗に爆発させられる歌手はどこかにいるかも知れないが、何百回と聞いてもこの特別な物語をIUほど巧みに、清らかに、ドラマティックに歌える歌手がほかにいるだろうかと思う。

 

 ちょっと待って欲しい。「23」こそIUだ。私は常々IUの最も魅力的なところはリズミカルな曲のグルーブの隙間に光るとかんがえてきた。20代に入り彼女が世界と大衆に投げかけたメッセージは興味深く、一筋縄ではいかない、時に軽快なリズムとよく合っていたし、これらは例外的に彼女の傑作として残ることになった。ウサギの穴にはまっておかしな国に落ちるように、竜巻に乗ってオズの国に着いたように、不思議で妙なファンタジーのなかのIU、「The Red shoes」のIUはたとえ他人が作り上げた世界で動いているが、誰よりもわざとらしく誰よりも魅惑的にそのファンタジーを描くことができる力を持ったアーティストだ。もちろん彼女の本格的な覚醒は野心に満ちた「CHAT-SHIRE」から始まる。天真爛漫な声で意地悪に声をかけてくるチシャ猫はIU自身として、このアルバムは成人したIUの不埒な想像と挑発と不安な感情のコラージュだ。何を選んでもそれは正解にも、あるいは誤答にもなり得るという唐突な自身がファンキーなグルーブと混ざり合い、いっこうに退屈させる暇を与えない「23」はアーティストとして目覚めたIUの代表的な傑作だ。

乾いたヒップホップのビートが不吉に渦巻く「Zeze」もアルバム全体の文脈から、そして「23」とペアとして理解するとその真価が理解できる曲だ。一方が魅力的だがコントロールできない私に対する宣言なら、もう片方は得がたい相手に対する切なさについての逆席的な表現だ。リズミカルなリズムに込められた二重性の探究、その二重性自体を魅力に生かすことができるセンスはIUだけの独特の魅力をつくる最も大切な部分だ。「目を閉じて歩いても正しい道を(The Red Shoes)」選んでいると信じ、「心とは違う表情をつくること(23)」もまたいつものことだと受け入れるアーティストだが、これは魅惑的でドラマチックなリズムから完全に外に出てくることはない。これこそがポケットの中に忍ばせた錐のようなIUだけの魅力なのだ。

 

 いや、「Knees」の中のIUこそ、彼女の真実の姿ではないか。シンガーソングライターとして、そしてボーカリストとしてIUが持つ本質的な美しさはいつも彼女が直接書き下ろした素朴な歌詞と淡泊なメロディー、そして真心を込めた飾りのない声にあると考える。「フォーク」や「バラード」に区分できるだろうがそんなありきたりなジャンルの名前で言いたくないその固有の情緒は「Kees」や「Heart」そして「夜の手紙」を彼女の一番輝く曲にする理由になる。人々にさらけ出したIUとは違う、イ・ジウンの時間に誰かの膝と撫でる手を求め、自分の平凡な姿を知る誰かにそっと近づこうとするその気持ちだけが残る。でもそうはできないので、この歌たちは「Eight」の幻想のようにいつも夢の中でだけ可能な何かだ。すっと深い眠りにつきたいと言い、起きたくないと告白する。この夜が過ぎれば彼女はまた他人が期待する特別な姿に戻らないと行けないし、目覚めるしかないことを誰よりも知る彼女に、この風はもう一つのファンタージになる。「するする、するすると深い眠りに…」と最後をぼんやりとさせる彼女の声は、絶対に最後の音を歌わない。美しいのだ。

 

 そうだ。IUはこれら一つ一つでありながら、そのすべてだ。興味深く、複雑で、危険だが同時にか弱くも堂々としたアイドル。私はK-POPシーンでこのように複合的で躍動的なイメージを共存させたアイドルーアーティストにこれまで出会ったことがない。気になる。IUはなぜそれが可能だったのか?機会があれば直接聞いてみたい。だが書いてみて考えてみるとなぜかその答えが分かっているような気がする。「それが私だから。私はそうできるから」。