はちみつと焼酎

BTS 방탄소년단/SUGA. 日本語訳など

Cine 21 SUGA Agust D そしてミン・ユンギ

『D-DAY』でソロアルバムのトリロジーを完成したBTS SUGAに出会う

文 イム·スヨン 

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あなたはBTSのSUGAについてどれだけ知っているだろうか。 Kポップの積極的な消費者や「ARMY」たちは、100を超える自作曲とデビュー前からあふれる自主コンテンツで、おのおの描くイメージがあるだろう。 Kポップに特に関心がなく、主に国威宣揚を云々するニュースで彼に接した人にとって、SUGAは「21世紀のビートルズ」と呼ばれるボーイバンドのラッパーであり、デビュー時から自主プロデュースが可能だったグループの核心メンバーだ。また、メロンチャートのトップ10くらいを知っている大衆には、PSYの「That That」とIUの「Eight」を作ったSUGAは,、大衆的成功を収めたプロデューサーと見なされることもある。 そして、ある人たちは、4月21日にフィジカルの形で初めて発売されるSUGAのソロアルバム「D-DAY」に、故坂本龍一とコラボした曲が収録されているという縁で彼を記憶することになるかもしれない。 

「Agust D」という名前で発表した2つのミックステープ「Agust D」「D-2」に続き「D-DAY」の全曲を作詞、作曲、プロデュースしたSUGAに、龍山にあるハイブ社屋の個人スタジオで会った。 Agust D三部作の完結とワールドツアーを控えた彼は、仕事に夢中だった20代を仕上げ、少し違う生き方について悩んでいた。

 

ただ息をするように音楽を作るだけ

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BTSのラッパーSUGA、PSYの「That That」とIUの「Eight」をプロデュースしフィーチャリングしたProd.SUGA。そして4月21日にソロアルバム「D-DAY」を発表したアーティストAgust D。
普段は「BTSのSUGA」と呼ばれる人間ミン·ユンギには、大きく3つのアイデンティティがある。 13歳の時からMIDI音楽を作った作曲家志望生から、激しいラップが似合うアンダーグラウンドラッパー時代を経て、3年余りアイドル練習生をした後、ボーイグループとしてデビューしたSUGAの多層的な位置のおかげで可能なことでもある。

彼もこのような道を歩むことになるとは予想していなかった。 デビュー当初、BTSリアリティ番組「新人王BTS-チャンネル防弾」でSUGAは屋上に上がり、バン・シヒョク現ハイブ理事会議長に向かって「3年前、パンPDが口車で僕をだました」と叫んだ。 事情はこうだ。「ユンギ、お前は1TYMみたいなグループになるよ。 振り付けは必要ないし、 リズムだけとればいいんだよ。 ラップだけ頑張ればいい」と説得されたが、いざデビューしてみると「放送局で僕たちの振り付けが一番大変だ」ということ。

ビッグヒットオーディションを受けた時は作曲家、ラッパー部門に志願し、自分はプロデューサーになると思っていた人間が、気がつけばソテジと1TYMの系譜を引き継ぎ、彼らよりはるかに高難度のパフォーマンスをこなさなければならないボーイズグループのメンバーとしてデビューしたのだ。

興味深いのは、SUGAが夢と現実の乖離で混乱するどころか、デビュー当初から意外にもアイドルが似合うキャラクターとして脚光を浴びたということだ。

その他のアンダーグラウンドラッパーたちがそうであるように、BTSはデビュー前から自身のフリースタイルラップとミックステープ作業日誌をインターネットに載せ、これはYouTubeを中心としたBTSの「乾かないネタ」の出発点になった。

練習生時代から、真剣に日常と制作の話を共有するコンテンツを着実にアップデートしてきたBTSは、大手企画会社所属のアーティストのようにテレビの芸能番組にあまり出演できない代わりに、インターネットプラットフォームをうまく活用するグループへと進化した。 カメラの前で自分を見せるのに早くから訓練(?)されたSUGAは、Vアプリ(現在Weverseに統合)とツイッターを通じたコミュニケーションに柔軟に対応し、「走れバンタン」をはじめとするオリジナルバラエティー番組も上手にやり遂げ、独特なキャラクターを作り上げた。 

「アイドルらしい」ファンサービスに嫌気が差しそうだという偏見を破り、むしろ図々しくファンと同僚に接するSUGAの最も有名な修飾語は「暖かいアイスアメリカーノ」だ。

そのようにして、「私を苦しめる危険な男」だから「告訴する」というファンダム(該当ミームの由来を知りたければYouTubeで「ミン・ユンギを告訴します」を検索してみてほしい。 見ていない人はいても、繰り返し見ない人はいない中毒性を誇る)が、SUGAにつき始めた。

BTSのデビューアルバム『2 COOL 4 SKOOL』のタイトル曲「No More Dream」でSUGAは、上の世代が提示する成功の基準に疑問を表した(うんざりするsame day、繰り返される毎日に/大人と両親は型にはまった夢を注入し/将来希望ナンバーワン···公務員?/強要された夢ではない、9回裏救援)。

 自主プロデュースが可能なラッパーたちが主軸になったBTSの物語が、ヒップホップの抵抗精神から出発するのはとても自然だ。 BTSの代表作「花様年華」シリーズが完成した不安な青春の肖像は、ヒップホップ精神から出発したため具体化でき、荒々しい少年のイメージはSM、YG、JYPが支配したアイドル市場で差別化され競争力になった。

そして「ARMY」と呼ばれる忠誠度の高いファンダムは、彼らが魅了された音楽をより多くの人に知らせるためにマーケターの役割を自任した。 いわゆる「ハッシュタグ総攻」を通じてSNSのトレンド順位に彼らを露出させ、ラジオ放送に彼らの歌を一度でも多く流すために手紙を送った。 そのようにBTSはマニアと大衆、非主流と主流の境界を崩し、今の位置に上がった。

BTSの成功は世界の大衆音楽史で重要な事件として浮上したが、SUGAは、自分にどんな使命感もなかったと話す。

彼の作品はただ「音楽以外に特に面白いものがなくて、趣味もないから息をするように曲を作ってきた」という気質から誕生しただけだ。 

意外にもグループとソロ曲を厳格に区別して作業するスタイルでもなく、その都度吐き出さなければならない感情を排泄してきた。

「不適格になるほとんどの理由が僕のせいでした。(笑)もしBTSの歌がもう少し洗練された感じがするなら、それは放送(適格)審議のためです。 僕がガイドをする時は悪口が含まれていたけど、後で会社で整えてくれたんです」

龍山に位置したハイブ社屋で会ったSUGAは、個人スタジオをただの作曲部屋だと紹介した。 ファンには「ジーニアスラボ」という名前で知られている。

周りに冗談半分で「幼い頃、僕が天才だと言われた!」という言葉を流したところ、A&Rチームが最初から彼の作業室の名前を「ジーニアスラボ」とつけてきて固まった名称だそうだ。 そして「ジーニアスラボ」はどこにでも存在できる。 「D-DAY」ソロアルバム録音は全て社屋内で進行したが、曲の制作は旅行地あるいは釣り船の上、さらに「In the SOOP BTS編」の撮影に行った時も行ったという。

 その様子は4月21日にディズニー+で公開される「SUGA:Road to D-DAY」にも盛り込まれている。 キム·グァンソクの「三十の頃に」をサンプリングした収録曲「Polar Night」はBTSが団体活動をしばらく中断し、メディアで彼らの解体を云々する推測記事が溢れた時に作った曲だ。

 好みが次第に消えていると言い、これから迫る30代は一体どのように生きなければならないのかを問いかけ、楽しみながら暮らせる方法について悩み、30歳になった時初めて旅行らしい旅行に初めて行ってみたという現在進行形の感情を吐き出した。

 「People Pt.2(feat.IU)」はタイトルを「人」にするか「愛」にするか、あるいはリスナーの選択に任せるかを最後まで悩んだ曲だ。 作業する時は一つの曲を数千回聞くが、リリースされた後には絶対聞かないと言っていた彼が聞き直す、ほぼ唯一の曲が「D-2」アルバムの「People」だという。 

「すれ違えばいいじゃないか/傷ついたらいいじゃないか/時にはまた傷つき/時には悲しくて涙を流すかもしれない」

関係に超然とした心情を込めた歌を聞いて、むしろ慰められた彼は、その続編で同じように寂しい境遇にある他人を慰める。 「人生は抵抗と服従の間の戦いと言うけど/僕からすればは寂しさとの戦いだ/涙が溢れ出たらあなたは泣いてもいい/すでに愛されるのに十分だから」

20代と30代の分岐点でこの曲を書いたSUGAが表わした変化は、彼が「厳格な計画に従って音楽を作るのではなく、結果を完成した後に除いていく方法」で作業するため、自らも予想できなかった率直な記録になる。

今は「見る音楽の時代」

13才の時から音楽を作り、17才の時にエンジニアの仕事を初めてスタートさせたSUGAは「無名ミュージシャン」の境遇がどんなものかあまりにもよく知っている。

どこでも自分の曲を受け入れてくれる場を探すために、ともかくずっと音楽を作っていたエネルギーはデビュー後にも続き、グループ活動をしながらも1年に200〜300曲を作った。 具体的な計画よりは、準備しておいた曲がある程度溜まればミックステープを発表するのが彼の創作スタイルだった。

 同時にアイドルグループのメンバーとしていつも多くの人々を相手にした。

SUGAは自意識に支配されたオトゥールよりは、同じ内容でもどのように伝えるべきかに機敏に反応する老練なテクニシャンを目指すアーティストだ。

「ありきたりなことをするということは、実は多くの人が予想どおりだから好きになるという意味でもあります。 ただクリシェになってはいけないようです。 人々が知っていることをすることと、やっていたことをもう一度することは違いますからね」。

プロデューサーとして外部作業をする時も「クライアントに全て合わせないといけないと思う」という。

気むずかしい消費者が立ち並ぶKポップ産業で、一度舞台に立つ度に5万〜6万人の観客を相手にする地位を固めた彼は、相手が望むところを鋭い目で捉えるベテランだ。 この辺りで彼がPSYの「That That」、IUの「Eight」を大衆的に成功させたプロデューサーでもあるという点を思い出す必要がある。

だから、最近SUGAが見せてくれる歩みは、最も個人的な記録を、大衆を相手に説得する術(すべ)を探す旅に見える。

ラッパーたちがアイドルになった時に起きた奇妙な衝突が、BTSだけの大衆性を作り、より内密な話をしたAgust D三部作を完成したSUGAは、その次の可能性に突進する。

「今は見る音楽の時代」と要約したSUGAは、3年前にミックステープ発売当時に公開した「大吹打」に続き、タイトル曲「Haeguem」のミュージックビデオのコンテを直接書くほど、ビジュアルストーリーテリングに熱烈な関心を持つクリエイターだ。

 「大吹打」のミュージックビデオでは朝鮮時代の暴君もSUGA、現代の刺客もSUGAの顔をしているが、今のSUGAは喜んで過去の自分に銃を向ける。 

「僕が望んだこと、服、服の次は金、金、次はgoal goal、この次は一体何だろう/その次はそうなんだろう?ひどく感じられる賢者タイムのない現象/上だけを見ていた僕はもうただ下だけを見てこのまま着地したい」

突然訪れた成功への空虚な心と墜落への欲望を歌ったこの曲は、ミュージックビデオと出会い素晴らしい自己反省の叙事を完成させる。

再び国楽の音を再解釈した「Haeguem」のミュージックビデオは「禁止されたものからの解放」と、ジョニー・トーをはじめとする香港映画の中での暴力のイメージを併置させる。 過剰の美学でむしろ無国籍の様相を志向しているように見えるSUGAのソロ連作は、アイドルとラッパー、ビデオとオーディオの境界を崩してきた軌跡とも重なる。 

これまで映画音楽の提案を本当にたくさん受けたが、今すぐできるコンディションではなかったという彼は「死ぬまで音楽をするので、長いマラソンを走っていればいつかできるのではないか」と余地を残しておいた。 誰よりも大衆的感覚に忠実に鍛えられたアーティストの、Kポップの外に拡張する歩みを待たざるを得ない理由だ。

 

Agust D三部作のラストアルバム
《D-DAY》発売記念インタビュー

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先行公開曲「People Pt.2(feat.IU)」が本日公開されました。 さっき写真撮る時もどうせならその曲をかけておいてって言ってましたよね。

たくさん聞いてください。 寝る時も聞いてくださいね(笑)

カフェでかけておくと良さそうな歌でした。 それで先行公開曲に選んだんですか。

元バージョンはメンバーのジョングクが ガイドをしました。 もちろん音楽が良くないといけないというのが最も重要な点ですけど、今回のアルバムが僕の作品だということを、人々に効果的に知らせるプロセスが必ず必要じゃないですか。

僕は10年間BTSのSUGAとして生きてきて、途中でミックステープを出す時に「Agust D」という名前を使いました。 「Agust D」や「大吹打」のミュージックビデオを偶然見た人たちが「SUGAに似た人だ」って知る場合も多いんですよ。

それでSUGAとAgust Dをシンクロさせよるために、IUと一緒に作業した「People Pt.2(feat.IU)」を先行公開曲として発表しました。

そして最近は様々なSNSがありますが、1993年生まれとしては、やっぱりサイワールドを考えないわけにはいきません。 サイワールドBGMとして使えそうな音楽、聞こえるから聴く音楽、ただ流しておくことができる音楽、人生のBGMのように感じられる歌を作りました。

正確に意図したターゲティングでした。 最近は長所が多すぎるより短所のない、気になる部分がない方がいいと思います。

今回のソロアルバムはいつから準備しましたか。

ミックステープという形ではありましたが、既にソロ歌手として正規アルバムを2枚発表しています。 フィジカルアルバムが出たのは今回が初めてですが。 
アルバム作業が終わる頃、脳が一番柔らかくなります。 「大吹打」が出た時「D-DAY」アルバムの半分をほとんど作ってある状態でした。 かなり具体化されていましたが、リリースのタイミングを決められませんでした。 それでいつから準備したのかという質問を受けると答えにくいです。 しかも3年前に作った曲もあります。

先に発表した二枚のミックステープ(「Agust D」「D2」)そして今回の「D-DAY」まで三部作を完成させました。 最初から三部作の形を念頭に置いていましたか。

幼い頃から好きだった映画の中で三部作が多かったんです。 たとえば「ダークナイト」シリーズです。 アルバムを3枚ほど出した時、僕ももっともらしい人になっているのではないかと漠然とした確信を持って、2016年に初めてミックステープを出した時からトリロジー形式を考えました。 
もしその後、僕がうまくいかなかったら三部作は完成できなかったと思いますが。 (笑)

僕のソロアルバムは、僕が生きてきた記録でもあります。 最初のミックステープを出す時は、当時の僕の考えを表現できなければ、BTSとして生きていく名目が立たないようで、2番目のミックステープを出した時は、ある程度考えが整理されて、過去と現在を行き来することができました。 
今回のアルバムはこのすべてを調和させたかったんです。 

僕という人間は変わり続け、過去と現在が互いにつながって影響を与え合ったりもします。 シリーズ映画3本を作る時、1~2本にあった要素をまた持ち出すこともあるように、『D-DAY』にはAgust Dの以前の曲から持ってきたものもあります。 

「D-DAY」アルバムに必ずどんなメッセージを載せなきゃと計算するよりは、瞬間瞬間、僕が好きだった、好きなものを眺めながら作りました。

タイトル曲「Haeguem」は禁止されたものを解くという意味も込められています。 これまで体感してきた、この社会で「禁止されたもの」は具体的にどんなものだったのでしょうか。

10年間アイドルとして生きてきました。 練習生期間を含めると13年です。 正直、たくさん節制しなければならず、制約の多い人生です。

僕だけでなくアイドルでもなくても、多くの20~30代が似ていると思います。 やりたいことがあっても、それでもできない状況に置かれたり、また多くの人々の顔色を伺うようになる状況が僕たちに禁止させます。

最近亡くなった坂本龍一氏とコラボした「Snooze」についてお話ししましょうか。 映画ミュージシャンでありながらピアニスト、メディアアーティストでもあった芸術家でした。

子供の頃、両親に引かれて大邱のある小劇場で「ラストエンペラー」を見たことがあります 当時、映画音楽にとても圧倒されました。 「Rain」は韓国のバラエティ番組でも緊迫した状況でよく使われるほどすごく有名じゃないですか。 (笑)

その後、13歳の時から音楽を作り始めましたが、先生の曲をサンプリングでたくさん使いました。 幼い頃、サンプリングをリバースして切って またつなぎ合わせる方式で習作を作ったんです。 音楽を初めて作り始めたとき、僕に多くのインスピレーションを与えられたアーティストでした。

ドラマ俳優、映画俳優、ミュージカル俳優、演劇俳優が皆違いなく、彼らはみんな俳優と呼ぶじゃないですか。 音楽をする人たちも同じです。 映画音楽をする人とポピュラー音楽をする人が区別されず、音楽というのは互いに関連しています。

ビハインドストーリーを聞いたことがあるんですけど、坂本龍一先生は、偶然映画音楽を作るようになってから、その後映画音楽監督として多く知られるようになったんだそうです。

直接お会いしたのは一度だけで、音楽作業はオンライン上でしたが、本当に良い方でした。 僕が大好きだったミュージシャンが遠い旅に出ることになってとても残念です。

 

僕を好きでいてくれる人たち、彼らが望む音楽をする

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「D-2」アルバムの「Strange」はRMと一緒で、今回のアルバムの「Huh⁈」はジェイホープがフィーチャリングしました。

BTSでラッパーは僕まで含めて3人じゃないですか。 この前はRMとやって、 今回はホビとやったんです。

恥ずかしいかもしれない話ですが、ビートがちょっと難しくて僕はバース2を書く自信がなかったんです。 (笑)

ホビがドリル(注;本来の単語はギャングの攻撃を意味する。 残忍で暴力的な歌詞が多い。 編集者)ジャンルをやったことがないと言い、とても難しいと言ったんですが、お前はラップも上手だから歌詞を書けると言って横で叱咤しました。 そして、一度にOKしました。  J-hopeは本当に優れたアーティストです。 J-hopeくらいになると、上手かどうかというレベルではなく、好みの問題だと思います。 僕の好みにぴったりのものを持ってきてくれてありがたかったです。

今回のソロアルバムに収録された「Life Goes On」は、「BE」アルバムの同名の曲を新たに編曲したものですか。

当時、僕が「Life Goes On」をフルで作りましたが、僕のは使われませんでした。 個人的にそのバージョンがもっと好きだったので、編曲を通じて新しい「Life Goes On」を出したんです。周りにモニタリングをした時、作曲家には最も多くのピックをもらった曲でもあります。

既存の曲のバースを持ってきて書くと、それは「リミックス」になりますが、「D-DAY」に収録されている「Life Goes On」は過去に僕が書いた歌詞とメロディーが少し入った後に、全く違う曲が出てくるんですよ。 ナムジュン(RM)とホビとバン·シヒョクPD、そして僕が一緒に ご飯を食べる時に聞かせたんですが、自然に流れてていてメンバーたちは気づかなかったんです。

作詞、作曲、プロデュースはもちろん、ミュージックビデオのようなビジュアル作業にも意見を出すと聞きました。

Kポップアイドルは決まった枠の中で動いていると思う方もいらっしゃいますが、そうではありません。 そんなアイドルグループもあるかもしれませんが、僕はそうではありません。映像とプロモーション日程までいちいち一緒に相談します。

「大吹打」の作業が終わるやいなやタイトル曲「Haeguem」と収録曲「Amygdala」のミュージックビデオのコンテを書いておきました。 そしてミュージックビデオの監督に伝えました。

その時は多くの人が新型コロナウイルス感染症が永遠に続くと言っていた時で、これ以上公演ができないかもしれないという漠然とした恐怖がありました。 早く次の作業をしなければならないと思いました。

特に「Haeguem」ミュージックビデオは、僕の考えがたくさん入って直接ミーティングもたくさんしました。 最近は「見る音楽」の時代で、映像物がとても重要ですからね。

だからといって中途半端に知り合いが干渉しすぎると、それはまた良くないかもしれません。 長く働いたスタッフを信じてそのまま任せる部分も、僕が具体的に意見を出す部分もあります。

現場でも僕が直接モニタリングをするよりは、監督が後で編集しやすいようにできるだけ多く撮ってほしいそうです。 最近のような時代には長所が多いよりは短所がないのが長所になるんですよ。

BTSのソロ活動を見ると、メンバー別に特徴が見えて面白かったです。 SUGAさんの一番目立つ部分はソロアルバムで、国内の音楽番組には出演しないでワールドツアーをするということでした。

歌手は公演をする人だから。 (笑)

もともと去年の11月にアルバムを出すはずだったのに、どういうわけか今出ることになりました。 メンバーごとにそれぞれ得意なことが違います。

韓国は本当に音楽を愛しているんだなと思うくらい、一週間ずっと音楽番組が編成されています。 そして僕は音楽番組が大好きで、音楽番組に出ることに躊躇いはなく、誰よりも音楽番組への出演が必要だと思う人です。でも今回のアルバムは、音楽番組に出るにはそのカラーが多少曖昧です。

何よりも僕がアルバムを出す一番大きな理由はファンのためです。 ファンがいなければ僕の音楽は意味がなく、ファンが一番喜ぶのは公演、つまりツアーです。 それでツアーを回ることになりました。

いわゆるアイドルらしいプロモーションもするつもりです。 ただ音楽をする歌手であるだけで、アーティストとアイドルを二分法的に分けるのがとても好きではありませんが、ファンが喜ぶ姿もお見せします。

テレビ電話のファンサイン会や小規模ファンミーティングまで準備しているというニュースを伝え聞きました。 最近は「可愛くてごめんねチャレンジ」「プリティーガールチャレンジ」「パピパピチャレンジ」など各種チャレンジもマスターしなければならないことをご存知ですよね? (笑)

僕が普段はセルカも撮らない人なんですけど、ファンが喜ぶからテレビ電話のファンサイン会もするんです。 僕が習わないといけないチャレンジリストを事前にもらって熱心に訓練する姿もすでにコンテンツで撮りました。(笑)

実はBTSYouTubeの第1世代なんですよ。 13年前からメンバーの姿を記録した映像をインターネットにアップし、独自のコンテンツを誰よりも多く撮ったグループです。 いつもやってきたことをここ数年していないだけで、今回やることになる映像通話ファンサイン会も、ただ昔やってきたことの延長線上だと思います。


今までそうだったように、軍入隊後も時々音楽を作るでしょうし、除隊後に私たちはその結果を見ることになるでしょう。 2~3年後に会うアルバムが知りたいです。

『D-DAY』というアルバムは、 僕が3年前に構成したままなら 今は出せなかったと思います。 柔軟でないといけないんです。

パフォーマンスが強い曲、多くの人が聞きやすいと感じる曲、いろんなタイプの曲をうまく分けておいて必要な時に発表するんです。

2~3年後に僕がどんな音楽をするかは分かりませんが、おそらくファンが喜びそうなものを持ってくるでしょう。 僕を好きでいてくれる人たちが望むことをしてあげること、それが僕という人の本質ですから。