はちみつと焼酎

BTS 방탄소년단/SUGA. 日本語訳など

愛する目撃者たちへ RollingStone Korea AgustDトリロジーレビュー



rollingstone.co.kr

KPOPコラムニスト、チェ・イサクさんによるD-DAY レビューの日本語訳です。アルバム、トリロジー、そして一部はコンサートのセットリストまで含めた、AgustDの物語に対するレビューになっています。パパゴで下訳の後に整えています。

 

★★★ここから★★★

「愛する目撃者たちへ」Agust Dトリロジーの語り

BTS SUGAが「Agust D」というラップネームで発表したトリロジー(3部作)アルバムの完結版「D-DAY」(2023)のテーマは、愛だ。 リスナーへの愛と信頼がなければ作れないアルバムだからだ。 逆に彼を愛してこそ、きちんと理解できるアルバムでもある。

未成年者聴取不可のトラックが3つもある(Spotify基準)この激しいアルバムから、「愛」を連想することは容易ではないかもしれない。 しかし細やかに耳を傾ければ、真実と嘘、闇と光、善と悪の二分法で斬る人への、彼の粘り強い真心を見つけることができる。

 

人、愛、生*1

Agust DのトリロジーはSUGAのサバイバルの記録だ。 語ることとさらけ出すことを通じて、内面の深くにある恐怖に立ち向かい、音楽を通じてリスナーたちが彼の目撃者になってくれることを願う。
心理学の古典ジュディス・ルイス・ハーマンの「トラウマ」には「(トラウマ治癒の)目標は恐れを感じながらも対抗できるという事実を悟ることにある」という一節がある。「D-DAY」はトリロジーを完結するまでの長い歳月を経て、ついに彼が到着した真理を語っている。

「AMYGDALA」で「早く僕を助けて」と叫び、恐れと共存する人生を受け入れ、「Haeguem」で「果たして僕たちを禁止したのは何だろう? もしかしたら僕たち自身ではないか」と問いかけ、その答えを通じて拡がる人生を見せてくれる。「Snooze」と「Life Goes On」では、人生はゼロサムゲームではなく、人と人が互いに支え合いながら進む、熱を持った旅なのだと伝える。

「D-DAY」のアイデンティティを最も克明に表すのは「Polar Night」から「Interlude:Dawn」に移るトラックの配置だ。
自分の人生が闇の果ての闇である「極夜*2」ではなく、日が昇る前の最も暗い「夜明け」だったと、あるいは極夜を超えてついに夜明けに至ったと告白し、真理を通じて自由に至ろうとする。

数多くの音楽家が「あるがまま」を見せようと試みる。 Agust Dのあるがままは、慰める存在になりたいという、裏のない優しさだ。 それがAgust Dの愛なのだ。

最後の最後*3

誰も気にしないと思うが、私はアルバムレビューを書く時、そのアーティストのすべての音楽を発表された順とは逆に何度も再生しながら、頭の中で内容が整理されるまで待つ。「D-DAY」は、その待つ時間が特に長かった。

「早く僕を救って」という哀切な叫びと家族の病、「ラッパーSUGA」という楽劇の序曲「INTRO:Never Mind」(2015)で聞かせてくれた思春期の、「一日数百回口癖のように言った『俺に構うな』」という自我から、「Snooze」で見せる、他人を「構う」自我への変化。このすべてを包み込む宗教音楽のように雄大なインタールードまで、彼の歴史を集大成するこのアルバムを、どうひも解いていけばいいのかもやもやしていた。
そうするうちに、ついに扉が開く瞬間が訪れた。 その時私は光州広域市ユースクエアターミナルに到着したばかりで、ヘッドホンからはトリロジーの最初のアルバム「Agust D」(2016)の収録曲「The Last」が流れていた*4

 ロダンは言った。 「芸術家は徹底的に真実を語ることができなければならず、自分の気持ちを表現するのに決して躊躇してはならない」と。

「The Last」は激しい変奏と絶叫、一糸もまとわない真実の歌詞でAgust Dの独自の芸術家的地平を盛り込んでいる。 「(精神科の)医者が僕に聞いた。 **** 躊躇なく僕は言った、そうしたことがあると」。過去の自傷行為または自殺未遂を暗示する歌詞で、どんな恐怖の前でも自分の全てを見せるという熱い気概を示し、「たった2人の前で公演していた奴、もう東京ドームが目前に……SEIKOからロレックス、AXから体操(競技場)、俺の手のひと振りに首を揺らす数万人の頭」と捨て鉢に歌い、努力で成し遂げたことへの堂々とした自負心と証明したいという欲望を表現する。

「The Last」はそれから7年後、現実の「D-DAY」と出会い爆発する。

この歌はAgust Dトリロジー全体の根源であり帰結だ。 東京ドームが最大の会場だと思っていた24歳の彼は、ワールドツアーを即時に完売させ、手の振りひとつに数千万人が頭を揺らす31歳のスーパースターになった*5

うつ病と対人恐怖症で精神科の診察を受けた過去から踏み出し、音楽によって自分の熾烈な戦いと克服の経験を分かち合い、「すべて良くなるよ」*6と、率先して慰めを与える存在になった。

この過程を思い描いた瞬間、彼が体験した歳月が津波のように私を襲うようだった。 そして「死ぬか、さもなくば殺すか」*7の戦争のように虚しい時代を共に生きる、同時代の市民として、彼の戦いが感動的で誇らしかった。

穏やかな土曜日の午後、高速バスターミナルで、私は変な人に見られないように涙をこらえながら待合室を出た。 7年前に時間を戻し、彼に「全部よくなるよ」と言ってあげたいという荒唐無稽な願いを心に抱いて。

その日*8

人生とは何か。 この答えのない疑問にとらわれるたびに、私にはいつも思い出す光景がある。 ずっと前にアルゼンチンの首都ブエノスアイレスを旅行した時、国母として崇められているエヴァ・ペロンが眠る「レコレッタ」墓地に行ったときのことだ。

亡くなった人たちのための豪奢なホテルのようだったそこで、右側には結婚写真、左側には葬式写真がかかっている一組の夫婦の墓を発見した。 しばらく彼らの前を離れられずうろついていた。 人生を2枚の写真で要約できるという事実が、自分のなかに「自分」が多すぎて恐れを抱いていた25歳の私にとって、非常に衝撃的だったからだ。

以後、人生が一寸先も見えないようにぼやける度に、その2枚の写真を思い出した。 人生とは二つの場面の間を歩いていくこと。 抜け出せない挫折の沼、呪われたカルマの絶壁なんてものはない。「人生は位置ではなく方向だ」という事実は、いつも私を救ってくれた。

すべての人生は流れていく。 だから私は決して止まらない

SUGAはAgust Dのトリロジーを通じて「すべての人生は流れていく」という命題を、自分の全てをかけて証明する。

先立って引用した「トラウマ」は「過去を終えた生存者は、未来を生成する課題に直面する」と説明する。
「D-DAY」を通じてSUGAは過去を完結させ、未来に進む。 まるで彼の初ワールドツアーコンサートのエンディングシーケンスのように、断固として背を向け、新しいドアに向かってのしのしと歩いていく。 音楽を通じてリスナーにも新しい扉を開けてくれる。

彼の毅然とした後ろ姿を見ると、我知らず願っているのだ。 あなたの創造と人生が、果てしなく流れていくように。始まりは恐ろしかったとしても、最後には、ついには自由でありますようにと。

*1:訳注:サラム=People,人),사랑(サラン=愛),살아(サラ=「生きて/生きろ」People Pt.2でタイトルにしようか迷ったという「サラ」と音が同じ。

*2:訳注:Polar Nightの原題が극야(極夜)

*3:訳注:The Lastの原題 마지막(最後)

*4:訳注:ワールドツアーの最後の曲がこの「The Last」だった。

*5:訳注:ツアーでは、この部分の歌詞を「東京ドーム」ではなく「スタジアム」、「数万人」を「数千万人」に変えている。

*6:訳注:Snoozeの歌詞

*7:訳注:Snoozeの歌詞

*8:訳注:D-DAYから。