はちみつと焼酎

BTS 방탄소년단/SUGA. 日本語訳など

Wings Tour The FINAL パン・シヒョクインタビュー記事2本(2017.12)

2017年12月10日、この年2月に始まった「The Wings Tour」THE FINALが、ソウルコチョクスカイドームで開かれるのを前に、記者懇談会が開かれました。そのときのパン・シヒョクPDのインタビュー記事のうち、一問一答が掲載されていた2本の記事を訳しました。重複部分ありますが、おそらくこれでインタビュー全体を大体カバーできているかと。パパゴ。

プロデューサーとしてアーティストにどう向き合っているか、Kポップについての当時の考えなど、興味深いです。今も考えが同じなのか、変わった部分もあるのでしょうか。

BTSに関しては本人たちの自主性をこの頃から強調していますが、その言葉通り、このあとのLove Yourself Tourからは、記者懇談会にパンPDは参加せず、メンバーにまかせています。

中見出しと赤字の強調はブログ主。

 

star.ohmynews.com

①パン·シヒョクが「BTS」に強調した二つの原則(オーマイニュース

ユ·ジヨン記者

「短い期間にあまりにもいろいろなたくさんのことがあり、一ヶ月前のことがずいぶん前のことのように感じられる。 BTSは2017年、全世界を舞台にしたダイナミックな物語(叙事)を繰り広げた。

今日(10日)、19都市40回のWings Tourが終了する。 多くの方々が、BTSが今の姿に成長できた核心となる力量や戦略、あるいは成功の秘訣について尋ねることがある。 成功を語るには早すぎるし、またその理由を簡潔かつ正確に述べることも難しい。

しかし、音楽の真正性と大衆音楽が伝えられる励ましと癒やしの力を信じたから、今日の可能性を見通すことができたと思う。 率直なメッセージを盛り込んだ自分だけの話を音楽を通じて聞かせ、同世代と交感し、同じ成長の痛みを経験しながら、BTSはさらに強く成熟していった。

また、このような防弾少年団の成功は単に防弾少年団だけのものではなく、Kポッププロデューサーとアーティストたちの創意力が積み重ねられてきたためだ。 Kポップというジャンルが常に新しく進化するジャンルとして認められることを願う。 一緒に見守っていただき、多くの関心と激励をお願いする」

ビッグヒットエンターテインメントのパン・シヒョク代表は10日、防弾少年団2017Wings Tourコンサートを控えて行われた記者懇談会で淡々と自身が準備してきた文を冒頭に広げ読みあげた。 2時30分から約30分間続いたパン·シヒョク代表の記者懇談会は、「防弾少年団」の今日を作ったプロデューサーとしての彼の地位を確認するかのように、取材陣の様々な質問でいっぱいだった。

パン代表はこの日の記者懇談会の席で「この場で必ず言いたいことがある」として自身を防弾少年団の父親と呼ばないでほしいと繰り返し頼んだ。 彼は「私が父親と呼ばれる瞬間、防弾少年団がオブジェクトになって、誰かが作り出したような印象を与えて落ち着かない」として「アーティストというのは誰かが創造するものではない」と強調した。

成長したメンバー

防弾少年団がデビュー当初、RMを中心に作られたチームだと明らかにしたことがある。 では、この時点で最も多くの変化と成長を見せたメンバーは誰だと思うか?

RMを中心に防弾少年団が作られたという話はRMというメンバーを初めて見た時、こんなに才能のある子をデビューさせなければならないという意味だった。 だれか一人を選ぶのは難しい。 個人よりチームとして成長することがどれだけ重要なのか、練習生の時から刻み込ませた。 防弾少年団は基本的に成長がコンセプトのグループだ。 防弾少年団は驚くほど成長を遂げ、それが私を感動させる。

成功の過程

―ビッグヒット・エンターテインメントという中小企画会社として成功した。 最初から海外を狙ってスタートしたチームではないが、成長の分岐点と言える曲について説明してほしい。

防弾少年団の歴史自体が有機的で多様な要素で動いているため、成長の分岐点をこれだと申し上げることは簡単ではないようだ。 私よりはファンの方々や分析をしてくれる方々の意見を総合して妥当だと思ったことを申し上げようと思う。

まず「DOPE」という歌がリアクションを専門とするYouTuberの間で反応を起こしたことが契機になったと見る。 防弾少年団の海外ファンダムが結集し、いわゆるアイドルファンダムの用語で「営業」を本格的に始めることになった。 「FIRE」はそのように結集したファンダムが爆発するようにした契機のようで「血、汗、涙」でもう少し普遍性と汎大衆性を確保した。 その後は、ご存知のようにビルボードや米国メディアの注目という点が合わさって、雪だるま式に転がっていったようだ。 それが今日の「防弾少年団」になったのではないかと思う。

―今後、防弾少年団の成長に望む部分があるとしたら?

望む部分があるとすれば、防弾少年団が米国で期待していた成果を出した部分を失わずに、産業モデルとしてうまく作って行きたい。 過去、Kポップの音楽企画会社が海外でKポップ産業を可能にしてくれたように、私もまたそのような役割を果たしたい。 それで西欧市場に進出しようとする企画会社に機会与えて欲しい。

Kポップ固有の価値

―成功の秘訣を一言で言えないと言ったが、それ以前にも海外市場を攻略した経験があるか?

外市場を意図的に意識して攻略したことは全くない。 様々な要因が現在の「防弾少年団」を作ったと考える。 まず、最初に防弾少年団が作られた時からKポップ固有の価値を守ろうとは思っていた。大げさなものではなく、1990年代半ばからKポップと呼ばれてきた音楽はビジュアル的に美しく、総合的なパッケージで音楽が機能し、舞台パフォーマンスが素敵な音楽だと思う。 この部分は守らなければならないと思った。

外市場攻略はKポップに基本的に含まれている。 これをどの国、またはどの文化圏に持っていくというような戦略はなかった。 Kポップ固有の価値を守るものの、「防弾少年団」の価値をそれに加えるという考えを持っていた。

ヒップホップに代弁される黒人音楽をやりたいと思ったのは、メンバーたちがそのような音楽を愛していたからだ。 そして、そのような音楽が好きなメンバーたちの話を音楽に盛り込むという真正性。このように2つが西欧市場で進入障壁を低くする役割になったようだ。 Kポップは西欧市場では馴染みがないが、ブラックミュージックやヒップホップは馴染みがあり、聞き手として簡単にアクセスできる。

防弾少年団の目標は防弾少年団に聞け」

―これまでの成功が今後の防弾少年団に影響を及ぼすだろうという点で心配もされているが、どう見ているのか。

私もメンバーも大きく考えが変わってはいない。 やってきたことを頑張って、上手にできることを頑張るという立場だ。 今回の「MIC DROP RIMIX」ケースのように、アーティスト同士で一緒に楽しく音楽制作をし、Kポップの周辺で出会える他の音楽との遭遇はあり得ると思う。

防弾少年団の次の目標としてどんなことを考えているのか?

防弾少年団の目標を私が言うのは適切ではないようだ。 「防弾少年団」自らが言うべきだと思う。 この程度のレベルに上がった歌手たちの夢は、本人たちが話すのが正しいと思う。 私もその部分は気になるので、聞いてみたい。

―今後も引き続き米国市場と共感を築かなければならないが、どのような計画があるのか気になる。

これは防弾少年団が今後何をするかという質問のようだ。 一回性の進出ではないと思うが、防弾少年団が米国市場をターゲットに米国に進出し、英語で書かれた歌を発表するというのは、私たちが進もうとするものとは違う。 Kポップ歌手全員に英語を教え、米国の会社と契約を結んで米国に進出し、米国のファンに愛されるのはKポップではないと思う。 それはアジアの歌手が米国市場にデビューすることだ。 それが防弾少年団の固有の強みになり得るか疑問がある。

ファンの方々をあまりにも信じているのかもしれないが、この方々が好きでいてくれることを熱心にしたい。 英語を使えというのはその選択肢にない。 その次の道はファンが開いてくれると思う。

私がしなければならないのは、防弾少年団だけがKポップの成功したケースではないということを見せるために良いパートナーを作ることだ。

―むしろ英語を使わずに韓国語で歌を歌う方が世界的な反応があるということか?

私は予言者ではなく、韓国語で歌を歌うことがどんな成果を出すかについて、あえて予断することはできない。 ただ私が得意で、しなければならないことをしているのだと申し上げたい。

当分の間、韓国語が防弾少年団本人たちが表現するのに最も良く、真正性を表わす言葉だと思う。 積極的に防弾少年団を消費し、彼らから慰めと励ましを受けるファンが歌詞の意味を翻訳しながら、その歌はリアルタイムで(全世界に)広がっている。 防弾少年団のパフォーマンスそのものを楽しむ方々がいて、歌詞の意味を探したい方々は、いつでもユーチューブで簡単にこれに接することができる。

―今、パン・シヒョク代表が関心を持っている話題が何なのか気になる。

幼い頃から国家という実体がそんなにもすごいのか?という考えを持って育ってきたので、海外の成果がすごいと言っても心の中では「よく分からないな」という気がしたが、現場に行くとまるで太極旗を刺繍されたような感じだった (笑い)。使命感を持って集中しなければならないし、ここで気を緩めたら歴史の罪人になることもあるかもという気がした。

今悩んでいるのは、生半可な考えではあるが、韓国語で意味伝達ができなくても楽しく真似できる単語が何があるのかを悩んでいる。 グローバルファンダムを考慮せざるを得ないので、韓国語だけど耳に入ってくるような単語の中にどんなものがあるのかということ。

―多くの経験を共にしながら、これだけはカバーしなければならないという点があるか?

私はカバーしろと言うタイプではない。 原則的な話をしてやって、頑張ってもらい、やりたくなければやらなくても良いというタイプ。 チームの価値を大切にしなければならないということと、音楽と舞台が大事でなければ、アーティストであることをやめるべきだという原則的な話だけをするレベルだ。 他の話はしたことがない。

一つ付け加えたいことがあるとすれば、「第2の防弾少年団」が出るべきだと申し上げたことがあるが、その時に申し上げたのは、西欧市場に進出するケースが、「防弾少年団」以降もあるべきだという意味だ。

「第2の」あるいは「第3の」という言葉を他の固有のアーティストにつけてはいけないと思う。 防弾少年団がただのハプニングではなく、一つのモデルになり、そのモデルに他のKポップ歌手がヒントを得て、同時代の歌手であれ後輩歌手であれ、西欧市場にもっと多く進出してほしいという話だった。

 

www.segye.com

②パン·シヒョク「防弾少年団は大人になりたくない永遠の少年たち」(世界日報

チュ・ヨンジュン記者

「『防弾少年団』の2017年は全世界を舞台にしたダイナミックな叙事でした」

防弾少年団製作者であるパン・シヒョクビッグヒットエンターテインメント代表(45)は10日、高尺スカイドームでこの1年間目覚ましく成長した防弾少年団の成果をこのように整理した。

パン代表はこの日開かれた防弾少年団のワールドツアーファイナル公演に先立って行った記者会見を通じて「上半期ビルボードミュージックアワード』の受賞が防弾少年団のグローバルファンダムを確認した契機だったとすれば、最近開かれたアメリカンミュージックアワード』は大衆性を高く評価する舞台であるだけに、韓国音楽がポップの本場でも通用するより大きな可能性を見させた機会だった」と説明した。

彼はまた「多くの方が防弾少年団を今の姿に成長させた核心となる力量と戦略、成功の秘訣を尋ねる」として「成功を話すには早く、簡潔で正確に答を下すことも難しい」と話した。

続けて「しかし音楽の真正性と大衆音楽が伝達する励ましと癒やしの力を信じたから、今日の可能性を信じることができた」として「防弾少年団は率直なメッセージを盛り込んだ自分だけの話を音楽を通じて聞かせ、彼らが同世代と交感し同じ成長痛を体験しながらさらに強固に成長した」と強調した。

それと共に「私たちは文化的閉鎖性や言語的障壁を越えて、普遍的なメッセージと良いコンテンツの力で意志疎通できるという無限の潜在力を目撃している」として「これは過去から続いてきた数多くのK-ポッププロデューサーと歌手の創意的な試みが積み重なったために可能だった。 望みがあるとすれば、これを契機にKポップが固有のジャンルに新しく進化する音楽として認められ、グローバル世界で躍動することができればと思う」と期待した。

ソウル大学美学科を卒業したパン代表は1997年、ユ・ジェハ音楽競演大会の銅賞出身で、JYPエンターテインメントの首席プロデューサーとして活動した。 これまでgodの「空色風船」、Rainの「悪い男」、ペク·チヨンの「銃に撃たれたように」と「私の耳にキャンディ」、2AMの「死んでも別れられない」など多数のヒット曲を出した作曲家出身のアルバム製作者だ。

米国で感じた使命感

―米国での防弾少年団の活躍はどうだったか。 

現地で感じたのは、胸に太極旗を着けたというか、すごく感動的だったし、「使命感を持って集中してやらなければ。ここでミスったら歴史の罪人になるかもしれない」という気になった。 実は幼い頃から国家代表の試合にも関心がなかったし「国家という実体がそんなにすごいものかな」と思って生きて来たが、今回そうではないということを学んだ。  

夢に向かって進む少年

―「防弾少年団」はもう少年ではないが、どう思うか。

かつてシュガがこんなことを言っていた。 本人は大人になりたくないと。 ピーターパンのような話ではなく、大人になっても夢を失わず、夢に向かって精進し続けるなら、それは大人ではなく少年だと言っていた。 私はその言葉が防弾少年団の姿を一番端的に説明する表現だと思う。 「花様年華」シリーズを企画する時も、私に大きな影響を与えた言葉の一つだ。     

―最初から海外市場を攻略しようと作られたチームではなかったが。

 様々な要因が防弾少年団 のいまの位置を作った。 初めてチームが作られた時からしたことは、Kポップ固有の価値を守るということだった。 そのような価値を守りながら、防弾少年団だけの価値を加えようと。 メンバーたちが愛するヒップホップに代弁される黒人音楽ベースに、自分たちの話を溶かし込んで、真正性を守っていくだろう。

音楽の方向性

防弾少年団が追求する音楽の方向は。

相変わらず「ブラックミュージック」をベースにしていることは間違いない。 多くのジャンルをやったが、一般的に聞くにはバラードに近い音楽だとしても、ほとんどR&Bのテクニックを使った。 世界的にジャンルの境界が崩れているが、そのような面を早く受け入れ、防弾少年団らしく取り込もうとしている。 

―米国の音楽市場の意味は。 

 防弾少年団が米国市場をターゲットに米国に進出し、英語で書かれた歌を発表するというのは、私たちが進もうとする道とは違うと思う。 私たちがKポップ歌手の皆に英語を教え、米国のプロデューサーや米国の会社と契約して米国の歌手になろうというのは、すでにKポップではないと思う。

米国で成功するK-ポップが防弾少年団だけではないことを示すために、米国で良いパートナーに会って、この方々と全世界に通じるK-ポップを作っていく