はちみつと焼酎

BTS 방탄소년단/SUGA. 日本語訳など

ハイブ、パン・シヒョクのK-POPからの「K外し」は、BTSファンとでは全く違う/記事日本語訳

いったいハイブはどこへ向かっているのか…?ということでこちら訳しました。(2024.1月の記事)

筆者は「BTSとARMY」のイ・ジヘンさん。脚注はブログ主(honeysoju)が入れました。

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ハイブ、パン・シヒョクのK-POPからの「K外し」は、BTSファンとでは全く違う

K-POPからKを外すとしたら?

イ·ジヘン東亜大学ジェンダー·アフェクト研究所専任研究員

最近になって、ハイブのバン・シヒョク議長は、K-POPからKを外すべきだという考えを、各種メディアを通じて繰り返し明らかにしている*1。 これは最近、K-POPの成長傾向が鈍化したという指標によって引き起こされた危機意識から始まったものと見られる。 昨年、マスコミとのインタビューで彼が使った表現は、このような危機意識を傍証する。

 「K-POPはこれからもっと広い市場でもっと広い消費者層にアプローチしなければならない」 「Kのアイデンティティを固守していくことは、成長鈍化という危機的状況を解消するのに全く役に立たない」「私たちがグローバルな普遍的価値に接近できる出口と入口を多く作らなければならないと考える」

「グローバルな普遍的価値」の正体

パン・シヒョク議長の発言が意味することは「グローバルな普遍的価値に接近」するためにはKという接頭辞をK-POPから取り外さなければならないということだ。

接頭辞Kの用例は様々である。 まず、K-POP、Kドラマ、Kリーグのように国家間の体系を識別する記号として使われる。 K-POPやKドラマの場合、単なる国家表記機能を越え、コンテンツの受信者の間では一種の文化的ブランドとしての価値を獲得する。 また、既存の韓流コンテンツの潮流から一歩進んだ、新韓流の局面を示すKビューティー、Kフード、K文学のような命名が存在する。

その一方で、K防疫、K国防、K医療のように、民族主義愛国主義のフレームと新たに結合し、過熱した集団主義の性格を現わしたりもする。 さらには、K長女、K会社員、K不正のように、韓国社会の矛盾を自嘲するためにKが動員されたりもする。

 このように接頭辞Kは修飾する対象に固定された意味を付与するというよりは、文脈と使われ方によって数多くの意味を持つようになる。

このうち、パン・シヒョク議長が克服しようとするK-POPのKは、おそらく国家の識別記号としてのKだろう。 もっと正確に言えば、英米圏の大衆音楽を指す用語である「ポップ」にあえてKをつけることで、メインストリームとははっきりと区別されてしまう「韓国大衆音楽」としてのK-POPだろう。

 「あの」BTSさえ何度もグラミーのポップカテゴリー候補に上がるも受賞には失敗したのは、KPOPをポップと認めたがらない西欧音楽産業の保守性を反映していると見る見方もある。 また、彼が克服したいKは普遍的ではないサブカルチャー好みの消費者たちがコアファンダムになって押し進める「産業」としてのKPOPだろう。

K-POPが「グローバルな普遍的価値」を追求しなければならないという彼の信念は、ジョングクとTOMORROW X TOGETHERの最近の音楽に込められた非常に「西欧的な」(あるいはパン議長の言葉によれば「普遍的な」)サウンドで現実化される。 彼が追求する「グローバルな普遍」はK-POPが「ポップ」の中に収容されること、それによってさらに多くの西欧大衆が流入し、結果的にK-POPコアファンダムの席を伝統的「リスナー」たちが満たす姿だ。

「普遍性」が結局ヘゲモニーにともなう権力の結果という点を思い起こした時、バン議長が追求する普遍はすなわち「西欧的普遍」を意味する。

コアファンダムがさらに搾り取られる現在の逆説

産業的側面から見た時、強力で没入度の高い消費を見せるコアファンダムが押していく市場に限界があるという彼の悩みは、いわゆる「ファンダム効果」が「大衆」に勝てないという俗説ともつながっている。 しかし、音楽だけを聞く10人のライトなファンよりは、アルバムとグッズを購入し、公演を見る1人の忠誠度の高いコアファンが音楽産業の売上にさらに役立つと話す専門家もいる。

これは音楽産業だけでなく、ゲーム産業でも同じだ。 スマートフォンさえあれば誰でも軽くプレイできるモバイルゲームが急成長した状況でも、韓国ゲーム業界に収益を保障してくれるからと大事に扱われる利用者はハードコアゲーマー(ゲーム没入度が高くゲームに時間とお金を多く使う人)であって、カジュアルゲーマー(ゲームに大きく没頭せずに時間がある時にささやかにプレイする人)ではない。 ゲーム会社が男性の多いコミュニティ発の「フェミ思想検証」に同調して、ゲーム業界の女性労働者の契約を解約するなど強力な措置を取る*2のも、ハードゲーマーの大多数を占める男性利用者を意識した結果だ。

反面、「ライトなファンダムが増える構造に変えるべきだ」と主張するハイブが実際に行っている利益追求は、コアファンダムから最大限の消費を誘導する方向に向かっている。

ハイブは昨年6月、アーティストとファン間のプライベートメッセージシステムであるWeverse DMをローンチし、一部アーティストとのコミュニケーションを有料化した。 また、昨年4月にはBTSメンバーSUGAの米国コンサートに価格変動制、別名「ダイナミックフライシング」を適用した。 40万ウォン台のチケットが100万ウォン以上に値するなど、同政策はコアファンの激しい反発に直面した。

ダイナミックプライシングはリアルタイム需要に応じて、まるで競売するようにチケット価格が上昇するシステムだ。 供給より需要が多ければ定価より高く、その反対なら低く策定される原理だが、人気のあるアーティスト公演で常に激しいチケット戦争が繰り広げられる実情を勘案すると、ただ「チケット価格を高める姑息な手」として使われているというのがファンの指摘だ。

 

ファンにとってK-POPアイデンティティは何か

今日、K-POPがグローバルな流行であり、一つの「現象」として注目される理由のうち、大きな割合を占めるのはまさにファンの独特な受容のあり方だ。 ファンはアーティストの成長物語に自らを投射して泣き笑いし、アーティストの失敗と変化、そして業界の不条理に怒って冷淡に背を向けながらも、何度も無条件にそのすべてを抱きしめる。

K-POPアーティストとファンの間に流れるこのような情緒的な強烈さと、ここから派生して出てくるファンの集団的実践は、同時代のどのファンダムでも例を見つけることができないほど独特で、広範囲に行われる。 自身が支持するアーティストの成功を越え、持続可能な未来と政治的不正を転覆するための集団的動きを見せるK-POPファンダムに向かって、西欧メディアが「いったいなぜK-POPファンダムがブラジルと米国の大統領選挙に介入するのか?」と尋ねる笑えない状況が起きたりもする。

K-POPファンダムという名前の下に集まった多様な個人たちは、ファンになってから以前には知らなかった無数の社会的偏見と差別を経験するようになったと話す。 年配のファンは「どうして幼い男性/女性アイドルが好きなのか」と軽蔑され、西欧のファンは「どうしてよりによってアジア歌手が好きなのか」と嘲笑される。 韓国と歴史的緊張関係に置かれた国のファンは、両国間の国家的事案が発生する度に、自分の好みを隠したまま息を殺さなければならず、甚だしくは保守的な宗教色彩を帯びた一部のアジア圏の国のファンは、堕落した文化に追従するとしてテロに遭うこともある。

自分が属している関係と社会の中で、非主流として扱われるこのような経験が積もれば、本人も知らないうちに一種の少数者意識を身をもって実体化することになる。 この時、ファンダムは単純なファンの集合ではなく、同質感を共有した彼らの固い結集体に変わることになる。 K-POPファンダムの格別な共同体意識と集団的実践は、まさにこのような少数者的な同質感による結集から由来すると見ることができる。 この時、彼らにとってK-POPのKは単に韓国という記号または音楽的様式を意味するだけでなく、主流から排斥される「周辺性」の象徴のようなものになる。

逆説的だが、むしろファンがKを不満に思う場合が起きることもある。 BTSファンたちは最近、西欧の音楽授賞式が、別枠のK-POPカテゴリーを作って賞を授与することに反発し、カテゴリー新設の意図を問題視した。 西欧の授賞式のこのような行為がKPOPの周辺性を強調し、西欧ポップの支配力を強固にするという指摘だった。 この時、「Kを外せ」というファンの要求とバン議長の望みは同じに見えるが、本音は全く違う。 パン議長の目標は、K-POPを西欧ポップと区別されないようにすることで、結果的に西欧リスナーを流入させることだが、ファンは「優遇するふりをして差別する」西欧の授賞式の陰険な権力のあり方に抵抗するためなのだ。

したがって、K-POPからKを外すか付けるかは、それ自体で意味を持つわけではない。 重要なことは、どのような価値を守ることに同意するかだ。

相変わらずの西欧中心の文化的秩序の中で、K-POPが「西欧的普遍」という価値を転覆し、文化につながったグローバルな共同体に対する新しい代案的想像を可能にするならば、それまでKを付けても外してもファンにはそれほど重要な問題ではないだろうからだ。

 

*1:例えばこちらの講演を参照:KPOPの危機は「今から対処すべき」 - YouTube

*2:韓国ゲーム業界の「フェミ検証」については、こちらのブログに詳しい:韓国で発生している「手の形」が男性嫌悪(男性器が小さい)を示しているという騒動の歴史的背景 - 電脳塵芥

K-POPファンダムの「ARMY FOR PALESTINE」/記事日本語訳

weekly.donga.com

「週刊東亜」のコラムです。韓国三大日刊紙のひとつ「東亜日報」系の雑誌。

筆者はミミョ@mimyo_ さん。Kポップ関連の連載「ミミョのKポップナビ」から。

Kポップファンダムの「ARMY for Palestine」

ミミョ・大衆音楽評論家

 

2月、ソウル・ハイブ本社ビルの前に電光板トラックが停まった。 芸能企画会社の前のトラックは、Kポップファンダムが主張をする代表的な手段になって久しい。 今回のものが少し違うとすれば、イスラエルハマス戦争に関するメッセージだという点だ。

デモを主導した「ARMY for Palestine(アーミー・フォー・パレスチナ)」は3月23日(韓国時間)、米ロサンゼルスのハイブ・アメリカ社屋前でファンがオフラインで参加したデモも主催した。

主なアジェンダは、スクーター・ブラウン・ハイブアメリカ最高経営者(CEO)の退任を求めることだ。 ブラウンはユダヤ民族主義シオニズム」を支持する人物というのが彼らの主張だ。 昨年10月、イスラエルの野外音楽フェスティバルでのハマスによる攻撃を糾弾し、人質解放を要求し、パレスチナ支持を表明した米国芸能界の有名人をSNS上で攻撃したのだという。

ハイブにはBTSをはじめ、ルセラフィム、ニュージーンズ、TOMORROW X TOGETHER、SEVENTEENなど、多数の大物Kポップアーティストが所属しているだけに、事案はさらに多くのファンダムに広がった。 SNS上にはファンダム別、国別にパレスチナ支持アカウントが相次いで登場し、さまざまな団体と連帯して活動を展開している。

 ハイブのコンテンツ不買、イスラエルのアーティストが参加した曲のボイコット、その他イスラエル支持企業ボイコットなどが代表的だ。 しかし、ガザ地区の状況を世界に知らせるのに必要なeSIMカードの団体購入、生活必需品・医薬品の支援なども活発だ。 また、韓国とパレスチナが共有する植民地としての歴史性を指摘したり、世間のありふれた論理的誤りに必死に反論したりもする。 パレスチナイスラエル民族国家を建設するシオニズムに反対することは、「反ユダヤ主義」ではないという点についてだ。 イスラエル人にとって人権と平和が重要なのと同様に、パレスチナ人にとってもそうなのだと。

「ARMY4 PALESTINE」はBTSの曲に由来するクジラや歌詞、メンバーの語録を活用している。 スクーター・ブラウン・ハイブ米最高経営者を退出させろという「ARMY 4 PALESTINE」の電光掲示板トラック。

現実となったファンダム・アクティビズム

「ARMY for Palestine」はパレスチナ国旗を巻いた紫色のクジラのイメージを使う。 BTSの曲「Whalien 52」に由来したこのクジラは、孤立した者の孤独な戦いと連帯、希望を象徴する。 「ニュースを見ても何ともないなら…」 「君は正常ではないのが非正常」という「Am I Wrong」の歌詞をはじめ、BTSメンバーの語録や歌詞の中からも勇気を探そうとしている。 そして、被害者が同じKポップアーティストを愛する、私たちの平凡な友人であり得ることを強調する。

この動きをを見守る韓国内ファンの中で、少なくない人が共通して衝撃を受けたことがほかにもある。 ハッシュタグ「#ハイブシオニストを除去する」等、多言語で構成された彼らのテキストのなかで、韓国語が非常にぎこちないという点だ。 昨年11月の初声明以後、今年3月に入り「#ハイブはシオニストを退出させよ」に修正された。 韓国人がこの運動にどれほど無関心かを体感できる部分だ。 確かにKポップには政治を遠ざけようとする慣性がある。

世界各地の民主化運動や黒人人権運動の現場でKポップが聞こえ、ファンダムが運動に積極的に加担する、別名「ファンダム・アクティビズム(Fandom Activism)」は否定できない現実だ。政治から離れた純白のKポップの世界はすでに不可能になった。 Kポップが世界のものになった時、世界の人々の多様なアイデンティティと信念に、知らぬ存ぜぬを通すことはできないためだ。

ガザ地区の爆撃された廃墟からBTSのフォトカードが発見された映像は、これを雄弁に語る。 ファンダムの政治参加がどこまで至り、この産業と世界は彼らの声をどのように聞くのか、ファンダムは世界をどのように変えることができるのか。 その答えは「ARMY for Palestine」で見つけられそうだ。

ガザ地区の戦争がBTS、New Jeansのファンの激しい論争の場になった理由は?/日本語訳

韓国の左派系インターネットメディア「プレシアン (프레시안)」に掲載された記事です。連載「K-POPダイアリー」から。 

BTSおよびHYBEのファンダム内で起きているスクーター・ブラウンの排除要求運動について。筆者は「BTSとARMY」のイ・ジヘンさん。脚注はブログ主(honeysoju)が入れました。

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ガザ地区の戦争がBTS、New Jeansのファンの激しい論争の場になった理由は?

トランスナショナルファンダムの 行動主義とガザ地区戦争

イ・ジヘン東亜大学ジェンダー·アフェクト研究所専任研究員

 

コーヒー専門店チェーンスターバックスは、イスラエルパレスチナ間で起きたガザ地区戦争*1を巡る論争の中で「親イスラエル企業」と名指しされ、不買運動に苦しめられている。 昨年10月、米国スターバックス労働組合である「スターバックス労働者連合」は自分たちの公式SNSパレスチナを支持する文を載せた。 するとスターバックスは「このような内容にスターバックスのロゴを使うな」として労組を商標権侵害疑惑で告訴した*2。 親イスラエル論難が大きくなりスターバックス不買運動に苦しめられ、実際にムスリムが多い中東やアジアなどで売上が下落した*3

最近、この議論は、ポップアーティストたちにまで広がった。先月、グループ、ルセラフィムのメンバー、ホ・ユンジンがスターバックスの飲料を飲む姿がSNSにアップされると、海外のK-POPファンがホ・ユンジンのインスタグラムのコメントに「スターバックスを不買せよ(Boycott Starbucks)」、「勉強しなさい(educate yourself)」、「#パレスチナを解放せよ(#Freepalestine)」などの書き込みを相次ぎつけながら、批判に乗り出した。

ホ・ユンジンだけではなく、スターバックスカップで飲料を飲む映像をTikTokに掲載した歌手チョン・ソミ、インスタグラムの生放送でスターバックスコーヒーを飲んでいたエンハイフンのメンバー、ジェイクも海外ファンらに同じ指摘を受けた*4。以降チョン・ソミはTikTokの映像を削除し、ジェイクは、その放送の途中でスターバックスコーヒーに対する抗議を受けると、「私がミスをした。再びこのようなことがないようにする」と謝罪したという。

総攻の歴史

オンラインで特定の政治的な大義のためにキャンペーンを行い、行動に乗り出すユーザーたちの行為は、もはや新しいものではなく日常的な風景として定着した。 彼らは対話と共有という方法を通じてオンライン上で議論を起こし、多数の人が同一メッセージを繰り返し掲載する「総攻*5」として、またはハッシュタグを利用した喚起を通じてアジェンダを作り出すなど、非常に積極的なオンライン上の議論への参加を通じ、いわゆる参加民主主義的(participatory democracy)の様子を見せてくれる。

オンライン論壇で最も可視的で活発な行動主義を示すコミュニティの一つとして、K-POPファンダムを挙げることができる。 K-POPファンダムの人種差別に対するオンライン行動の例の一つとしてよく言及されるものに「白人の生命も大切だ(White Lives Matter)」ハッシュタグの「ハイジャック」がある。

2020年、ミネソタ警察がジョージ・フロイドを死に至らしめた場面が公開された後、米国全域に人種差別に反対する#ブラックライブスマター(#Black Lives Matter)運動が繰り広げられた。 このハッシュタグに対する反動的な動きとして、SNSに「白人の生命も大切だ(White Lives Matter)」というハッシュタグが上がってくると、K-POPファンダムはそのハッシュタグに数多くのK-POP関連動画とミームを載せ、ハッシュタグの機能を無力化するハッシュタグ「ハイジャック」を敢行した*6。 大量のミーム(meme)をアップロードすることで対象を無力化する方法、すなわちデジタル技術の効果的な活用を通じた政治的行動を展開したのだ。 ダラス警察が、人種差別抵抗デモでの不法行為を撮影した動画を市民がアップロードできる「iWatchDallas」アプリを発売した時も、同じことが起きた。 このアプリは発売されるやいなやK-POPファンが上げた、いわゆるファンカムで埋め尽くされ始め、ついに過負荷が起きてアプリ作動が中止された。 これに対しダラス警察は「技術的問題により」アプリが一時的にダウンしたと釈明した*7

BTS、ニュージンスなどが所属するハイブの米支社最高経営者(CEO)であるスクーター·ブラウンがSNSイスラエルを支持する内容を載せ、戦争が起きたイスラエルに直接赴き軍人たちと一緒に撮った写真が広がった。 スクーター・ブラウンのインスタグラムキャプチャー

ガザ地区の戦争とK-POPファンダム

現在、ガザ地区での戦争と関連して、K-POPファンの間で最も激しい論争の対象になっているのは、ほかならぬ「ハイブ」だ。 BTS、New Jeansなどが所属しているハイブの米国支社最高経営者(CEO)であるスクーター・ブラウンが、SNSイスラエルを支持する内容を掲載し、戦争が起きたイスラエルに直接赴き、軍人たちと一緒に撮った写真が拡散した*8

米国と韓国で同時にスクーター・ブラウンの退出要求が出た。 2月23日、パレスチナを支持するBTSファン(@ARMY for Palestine)はシオニストのスクーター・ブラウンと手を切るよう龍山のハイブ社前でトラックデモを行った*9。 3月23日にはカリフォルニアにあるハイブ・アメリカ本社前で「スクーター・ブラウン退出」を要求するデモが起きた*10。 請願サイトであるChange.org に上がってきた「スクーターブラウンをハイブから退出せよ」という電子請願*11には現在15万人近いファンが署名に参加している。

スクーター・ブラウンの退出を要求するファンは、彼がシオニストであり、エンタメ業界の親イスラエル団体であるCCFP(Creative Community for Peace)の一員であることを理由に挙げる。 また、ファンはガザ地区の非人道的抹殺を行っているイスラエルを支持する彼の行動が、将来BTSをはじめとするハイブアーティストのキャリアに致命的な汚点になりかねないという点を挙げている。

3月、ハイブがユニバーサルミュージックグループと今後10年間にわたりレコード・音源独占流通契約を締結し、ユニバーサルとの北米圏プロモーションとマーケティングをスクーターブラウンの管轄下に進行するという記事*12が出るや、ハイブの株価が急騰した。 ファンたちは、これが資本の連合のためにスクーター・ブラウンを抱えていくというハイブの意志だとし、ハイブに対するボイコット攻勢のレベルを上げた。

ところが現在、ファンダム内ではこのような行動主義をめぐって互いに意見が異なり葛藤が生じているようだ。 

最近発売された、BTSメンバーj-hopeの新アルバムのボイコットと、メンバーSUGAのコンサート映画である「Agust D Tour『D-Day』The Movie」のイスラエルでの上映を中止しろというファンダム内の要求が強まると、韓国内のファンを中心にこれに対する反感が表明されている。 政治的大義のために、アーティストの血と汗のこもった創作の結果物を人質に取っているという不満だ。
 
しかし、伝統的にファンの行動主義は、消費者ーファンの立場から大衆文化コンテンツで狙った結果を出すために戦略的行動を伴ってきた。 コンテンツや派生商品のボイコットは、消費者行動主義で最も有効に使われてきた戦略でもある。

実際にBTSのファンダムは2018年、日本のプロデューサー、秋元康の曲がBTSのアルバムに収録されることを、ファンの集団ボイコットキャンペーンを通じて無力化したり*13、2022年には性犯罪の疑惑のある作曲家の歌をBTSの新アルバムに再収録*14することに反対し、アルバム不買運動を行ったりもした。

選別的な大義か、トランスナショナル・コミュニティ内の多様性の衝突か

ファンの行動主義が内部でコンセンサスを形成し、一つの大義に向かって一糸乱れず動く時は、大部分それが「安全な」大義だったり、対象であるアーティストが積極的に支持を表明したりする場合だ。

2020年、BTSが人種差別に反対してブラックライブスマター財団に百万ドルを寄付した時、BTSのファンが24時間で百万ドルを自主募金して寄付した事例*15がこれに該当する。 トランプ政府の権威主義的人種差別政策と暴力的なデモ鎮圧に反対することは「十分に支持できる」大義であるうえに、さらにアーティストが直接乗り出したのものだったので、ファンダムの意思決定と参加は、それこそ水が流れるように続いた。

しかし、多様なアイデンティティを持った個人で構成されたトランスナショナル・ファンダムが、一つの問題で完全に意見を同じくすることは概して難しく、互いに異なる立場が存在するものだ。

たとえば、それぞれが属する国家アイデンティティが代表的だ。ロシアのウクライナ侵略を糾弾し、ウクライナへの支持を表明する時のロシアファン、原爆Tシャツの議論*16から出発し、日本の歴史修正主義を一様に批判する際の日本ファン、台湾出身のガールズグループメンバーが放送で台湾国旗を振った後、中国との関係を懸念して謝罪動画を撮るよう迫ったプロダクションを批判する際の中国ファンのように、ファンコミュニティがある種類の運動を支持する度に、後ろに押し出される国のファンが存在するものだ。

それにもかかわらず、ファンダムは絶えず特定の大義のコンセンサスを作るため、内部で交渉し説得する過程を経ながら、時には論争し反目し合う。

人種、宗教、ジェンダーなど、多様性の展示場のようなトランスナショナル・ファンダム内で、それぞれの多様性を尊重しようとして、敏感になる可能性のある問題には何も関わらないことは、多様性の時代における解決法ではないことが分かっているために起きることだ。

トランスナショナルなファンダムを、同質的な集団論理で捉えることはできない。 しかし、彼らが実行する政治的行動主義の土台に、ファンダムという空間に対する、共有された意識があるという点を考えてみる必要がある。

大衆音楽のファンダムは、アーティストと音楽に対する愛情の共有を通じ、ファンがお互いを仲間として認める空間として機能する。 その中でもK-POPファンダムは、政治的可視性が弱く、過小評価されてきた有色人種と女性の参加が目立つコミュニティだ。 彼らにとってK-POPファンダムは既存の文化的な支配秩序から抜け出し、同じことを楽しむ仲間と出会い、安全さを感じる空間であり、周辺化されたアイデンティティが集まって新しい政治的想像力を示す空間でもある。

ガザ戦争を巡るファンの行動主義の展開過程で、果たしてK-POPファンダムが内部の葛藤と反目をどのように交渉し、打開していくのか見守らなければならない。

*1:参考:朝日新聞の関連記事イスラエル・パレスチナ問題の最新ニュース:朝日新聞デジタル

*2:米スタバ労組がパレスチナへの連帯を表明「占領や大量虐殺の脅威を非難します」 | ハフポスト WORLD

*3:スタバ、中東の店舗で数千人規模の人員整理 ガザ衝突で不買運動 - CNN.co.jp

*4:「LE SSERAFIM」ホ・ユンジンや「ENHYPEN」ジェイクなど、コーヒーを飲んで非難...意外な悪質コメントの洗礼 | wowKorea(ワウコリア)

*5:총공=チョンゴン、総攻撃の意味

*6:K-pop fans drown out #WhiteLivesMatter hashtag

*7:K-Pop Fans Dallas Police App Fancams - PAPER Magazine

*8:スクーター・ブラウンの2023年12月19日のインスタグラムのポストhttps://www.instagram.com/p/C1ArJjiSVMB/

*9:Fans Get Vocal Against HYBE's Latest Statement Regarding Scooter Braun - Koreaboo

*10:Fans Protest In Front Of HYBE America Demanding The Removal Of Scooter Braun - Koreaboo

*11:Petition · Help Divest Scooter Braun from HYBE - United Kingdom · Change.org

*12:HYBE、米ユニバーサルミュージックと10年のグローバル独占流通契約 大物海外アーティストがWeverse加入の可能性も - モデルプレス

*13:[韓流]BTS 秋元康氏とのコラボ中止=ファンの反発で | 聯合ニュース

*14:チョン・バビ事件 経過などまとめ - はちみつと焼酎

*15:BTS、ブラック・ライヴズ・マター団体に1億円超を寄付。#BlackLivesMatter | Vogue Japan

*16:「Tシャツ問題」再考 - はちみつと焼酎

愛が愛だけで完璧でありますように/CINE21コラム

 

映画雑誌CINE21のコラムが良かったので訳してみました。

愛が愛だけで完璧でありますように:「FAKE LOVE」 (BTS、2018)


ボクギル(コラムニスト)

人間のすべての行動を「MBTI」で分析する風潮には反対する立場だが、ある種の葛藤はMBTIがなかったら永遠に解決できなかったという気もする。

人間が「P」(認識型)と「J」(判断型)タイプに分かれるということを知らなかった時を考えてみよう。

旅行とは、「分単位でトイレに行く時間まで計画する人」と「ただ時間の流れに身を任す人」が互いに「あいつは何がしたいんだ?」と果てしなく質問し合う戦いだった。 しかし、今はどうだろう? Jの自負心を持った友人が「計画樹立」という自分の宿命を喜んで背負えば、Pは可愛いふりをして厳格なスケジュールのなかで息抜きをする役割を果たせばいい。

もし葛藤が生じても「あの子はPだからだ」「あの子はJだからだ」という言葉で状況を収拾できるので、MBTIは相手に対する理解をあきらめながら、むしろ相手を包容できる不思議な規格であるわけだ。

しかし、依然として私はMBTIテストでは見つけられない人間の予測不可能な面が好きだ。 一人の人間が人生の様々な変数を経験しながら、自分も知らないうちに作り出した人生の独創的な曲がったものやおかしな形の愛のようなもの…。

セミに会う前の2009年には、私がそんなものに魅了されることを全く知らなかった。 セミは、青少年ボランティアプログラムで会った私より3歳年下の家出少女だった。彼女は主に合井駅周辺で友達に会って一日を過ごし、24時間運営されているスーパーとチムジルバンで衣食住を解決するホームレス少女だった。

お金がなくなると、たいていは友達と帰りながらガソリンスタンドのアルバイトをしたが、たまにはこっそりと家に入って両親のお金を盗んだり、たまにはよく知らない人たちにお金をもらってご飯を買って食べたりした。

千戸洞に住んでいたセミが合井まで来るようになった理由はただ一つ、そこにYGエンターテインメント社屋があるからだった。

「お姉さん、合井に行ってみる? 本当に楽しいよ!」

私はお手上げでセミに引っぱられて一日YGの前で「サセン」をした。 セミは建物の前にあるコンビニで食事を済ませ、知らない人の家の前でタバコを吸い、建物の前に駐車された車の後ろでうずくまって化粧をした。

セミとサセンの友人たちはYGの駐車場を眺めていたが、ワゴン車が入ってくると興奮してあちこち走り回った。 そして、社屋の前を通る通行人を見ながら、彼が練習生なのかどうか、その人物がビッグバンのマネージャーなのかどうか、その人がG-DRAGONの隠しておいたガールフレンドなのかどうかを推測するのに一日を費やした。

私はそれが全然面白くなかった。 その時間は非常に気まずくなり、言葉では言い表せないほど虚しかった。 私は内心セミが私と同じ思いを抱えながらも、ここで形成された友人関係のせいで、この生活を手放せないのではないかと疑った。

「G-DRAGONがどうして好きなの?」私は何も考えず質問を投げた。 ところが、セミは思ったより簡単に答えた。

「かわいいし、天才」と。

私はまた質問した。 「いつからG-DRAGONを追いかけるようになったの?」

セミは再び可愛くて天才的な返事をした。

「公開放送で私と目が合ったんだけど、その時、口にシャボン玉がすっぽり入ってくる感じ? その時からずっと…」

セミはこれ以上聞くなと言わんばかりに、もう一度付け加えた。

「今はこの子たち(BIG BANG)が私の人生の全部」

 

私たちは最後にお互いのボランティアスコアを満たした後に別れた。 私はセミの事情が何なのか最後まで分からなかったが、学校と家庭を勝手に抜け出した非行少女がどんな風に自分の愛を育て、そこに献身するのか、この目ではっきりと見た。

彼女の愛は現実から逃避するための手段であり、現実から逃避させる目的でもあった。 誰かが精巧に置いた罠に自ら足を踏み入れた彼女は、罠をかけた人に少しの包容力と真心があることを祈り、毎日さらに深い罠に陥った。

いつの間にか周囲から指差されるほど愛の形は歪んでいたが、彼女は止められなかっただろう。 偽の愛であっても、それは人生のすべてだったから。

 

2018年、BTSが「FAKE LOVE」を発表した時、私は初めてこのワールドスターたちに人間的な興味を持った。

アルバムが発売された時期は、彼らが北米チャートを席巻する直前で、すでに実力、人気、認知度のすべての面で絶頂を迎えた時期だった。 アルファベットソングを出しても世の中が歓迎するタイミングだったのに、突然ここまで暗いエモ(EMO)スタイルのポップスを、それも「叶わない愛」について語る曲を出すなんて!何をしてもいい時だから、極端に走ったんだろうか? その無謀さが限りなく刺激的だった。

ファンの間ではどんな解釈があるのか分からないが、私はこの曲がアイドルという幻想の中で、アイドルメンバーたちとファンが感じる混乱を表現したように感じられる。

この歌は最初から最後まで絶叫だ。 歌い方だけでなく舞台構成、ミュージックビデオ、ダンスすべてがそうなのだ。

その絶叫はまるで、お互いに目的のない純粋な愛を誓ったのに、愛が守ろうとするものに介入してくる様々な目的のせいで、関係が危うくなる過程を表現したように見え、聞こえる。

自分の愛がただ一つの愛で完璧になることを祈りながら。その愛の後ろに純粋でないすべてのものが隠されることを願いながら。

ミュージックビデオでVが持っている携帯電話が砂粒になって消え、ジョングクが走る床が崩れ続ける場面もやはりそのような気分をほとんど直接的に比喩したもようなものだ。

 

しかし、Kポップの真正性は、誰が何と言っても舞台で完成するものだ。 「それで一体何が言いたいの?」という歌への質問は、舞台の最後のパートで答えになって帰ってくる。

「愛はひどい」と泣いて挫折し、「何が愛だよ」と冷笑した彼らは、歌を終えながら舞台の中央に集まり、体で一つの花を作る。 幻想か現実か、全く区別ができない形の愛の中で、お互いを疑い、裏切り、憎みあったアイドルとファンは、それでもお互いが分け合った愛の瞬間だけは確かに本気だったと信じて、咲かない花を育て、咲かせたのだ。

 

「オタ活」をしていると、しばしば「アイドルとファンが分かち合う愛は本当(Reality)だろうか?」という質問にぶつかる。

私はしばしば、それは当然、徹底的に作られた「虚像」に過ぎず、その無駄で消耗的な活動を直ちに止めなければならないと主張するが、私の主張が強くなればなるほど、忘れられないオタ活の思い出が「本気?」というように私の後頭部を殴ってくる。

アイドルとの愛は、双方がやりとりしているように見えるが、厳然として1対多数の愛だ。しかし、その時ファンが届ける感情を全て虚像と言い切るには、その感情と経験の実体が確かに存在する。

「アイドルは極めて戦略的に企画された商品」という定義も、愛を否定できる完全な根拠にはならない。 ファンはその産業に包摂された存在だが、彼らがアイドルに魅了された背景と理由には、十分に掘り下げる価値のある個人の経験があるからだ。

 

複雑な構造の愛を、単なる虚像として片付けてしまえば誤りが起きる。

K-POP産業とK-POP文化にはそれぞれ原因が明確な問題が多い。 しかし、これらの問題を明らかにするために、確かに存在するはずの「愛」を否定してしまえば、その問題はいつも原点に戻ってくることになるだろう。

だから、たまには質問を逆に投げかけてみよう。

アイドルとファンが分かち合う愛が「本物」ではない理由は何だろうか?さらには、「本当の愛」とは果たして何だろうか?と。

ジミン、狂おしいほどに/Rolling Stone Korea チェ・イサクさんコラム訳

rollingstone.co.kr

ジミンのFACE一周年記念で掲載されたチェ・イサクさんのコラムです。パパゴで下訳しました。

ジミン、狂おしいほどに

狂おしいほどの恍惚感

大衆音楽の方程式で、良い音楽とパフォーマンスを完成させることは成功の半分しかもたらさない。 残りの半分を満たすのはアーティストの力量だ。 スターは聴衆を夢見させる力を持っている。 だから彼らの舞台には夢のようなきらめきとときめきがある。 しかし、国境を越えて時代に響き渡る大衆音楽のアイコンたちには、さらにもう一つの能力が加わる。 彼らは「求められる」のだ。

 ジミンの呼吸と熱気でもたらされた初のソロアルバム「FACE」(2023)は、ファンが彼をどれほど求めているかに対する答えを自ら出す。 気が狂うほどに。 デビッド・ボウイニーチェの「神は死んだ」という概念を引用して「神に代わることができなければ、私たちの中に生まれた空洞をどうやって満たすのか?」と質問したことがある。 ジミンは最高価値の神聖さだけが掌握できる、魂のがらんとした空洞を、彼に向かう狂ったような感情で満たすのだ。

 

ジミンはうっとりとさせる。その恍惚感は逆説的だ。 喜びと同じだけの絶望、いかりのように重たい危なっかしさ、氷の中の火を同時に抱えている。「FACE」は恍惚としながらも凜とした存在だけが見せることができる逆説を表現する。
デビューと同時にビルボードHOT100のチャート1位に上がったタイトル「Like Crazy」は、ジミンだけの魅惑的なボーカルと流れるようなムーブで、歓声の中の孤独と浮遊の中の凝視を描き、あらゆる感覚と視線で彼を感じさせる。 ダブルタイトルである「Set Me Free Pt.2」は、透明な混沌と抑圧の中で、自らを解放させるジミンの物語を本能的な身振りで描き出す。 羽根のようなしなやかさとシャープさ、暴風のように圧倒的な震動と節度を持ったジミンの踊りはカタルシスを起こし、極めて個人的な彼の真実のなかへと私たちを一緒に巻き込んでいく。

「FACE」はジミンという次元を通じて、恍惚感の逆説を増幅させ、聴衆の内面に注目させる。 その甘美で熱い体験は、ジミンだけが与えられる喜びと言っても過言ではない。 

 

スタンダールは優れた芸術作品を見る時に感じる衝撃と高ぶりを意味する「スタンダール・シンドローム」を生み出した著書『ローマ、ナポリフィレンツェ』で「恍惚さの程度が音楽で美の唯一の尺度だ」と定義した。「FACE」はジミンのように恍惚とさせる。 ジミンが息と魂を込めて誕生させたアルバムであり、ジミン自らをその中で生まれ変わらせた「FACE」で、高い美の境地を発見できる理由だ。

 

 狂おしいほど幻想的な

「FACE」でジミンは月になる。 体にタトゥーで刻まれた月のプロット、舞台上で冷たく輝く視線と神話的な躍動感、闇を消し去るほのかで神秘的なオーラを持つジミンの存在感を月で表象し、アルバム全体の世界観に広げる。

月が満ちたり欠けたりする神聖な宿命は、歴史的に数多くの芸術作品のインスピレーションとなってきた。 「FACE」は月が醸し出す恍惚、カオス、生命力を、ジミンの音楽とダンス、言語とイメージで有機的に具体化し、Kポップの新しい文法を作る。 この巨大な形而上学の塊を、ジミンはその存在の力で格調高くつかみ従え、同時に解釈では近づけない真実さで満たす。

 

「FACE」で最も支配的に現れる月が象徴するものは、生命力だ。 月はどんな闇を経験しても再び明るく満ちてくる。 このアルバムはパンデミックの夜の間、ジミンが経験した裏切りと怒り、さまよいと空虚を告白することで向き合い、自由を探す旅程を順番に扱う。

抜け出したい現実を怒りの顔で振り返る「Face-off」から始まり、突然部屋のドアを大きく叩く音で夢から覚め、現在を直視する「Interlude:Dive」、明かりの消えた部屋の中を一人で歩きながら迎える「Alone」の孤独なピークを経て、最後のトラックである「Set Me Free Pt.2」に至り、自らに「Finally free(解放)」を宣言する。

ジミンは「FACE」を通じて夜と共存する方法を悟りながら、新しい光で、自分だけの物語と感受性を持ったソロアーティストとして生まれ変わる。

 

この回復と再生の物語はまた、月から始まる波長で描写され、芸術的テキストとして「FACE」のレイヤーを加える。

アルバムの誕生を知らせたコンセプトトレーラーは「FACE」の視覚的世界観の母胎として、月の重力が作る水の波動を描く。 光と闇、上と下、水滴と海が向かい合って逆転し、その結果生まれるこの波動は「FACE」のミュージックビデオ、アートワーク、スタイリングなど、目に見える全てのところに広がり、月の世界観を形作り共鳴させる。

タイトルである「Like Crazy」のミュージックビデオは、酩酊と虚無に溺れてもがくジミンの不安と孤立感の浮き沈みを、潮の力学に例えて文学的に描き出す。 そして、この表現を通じて「Like Crazy」の悲しい悦楽に一緒に浸らせ、鎮める。 「Set Me Free Pt.2」のミュージックビデオは月の形に集約される。 円形監獄の舞台でリルケの「広がる円」の詩句を体に刻み、生命という束縛のくびきを表現する。

 

「FACE」の月の世界観は卓越していて怜悧だ。 K-POPアーティストに特に厳しく投げかけられる「何を聞かせてくれるのか?」と「何を見せてくれるのか?」の要求を圧倒的に満足させ、新しい大衆芸術の哲学を示す。

新しい想像力と文法で精密に構築された「FACE」の世界を探っていると、いつかジミンが開くだろうソロコンサートで、月明かりのように輝く青白い照明の下、夢見るように踊り歌う彼の姿をあらかじめ見るような白昼夢に陥ることになる。

ジミンから始まって完結するこの世界観がもたらす共感覚的な一体感は、ソロアーティストとして第一歩を踏み出したジミンの成功の推進力と可能性も広げるものだ。「FACE」ただ一枚のアルバムでジミンが磨いた音楽的な基板は、このように広く堅固だ。

 

狂おしいほどに激しい

ジミンは歯を食いしばるべき瞬間に笑い、限界点でリズムを作る人だ。 正しい拍を刻むと同時に飛び越え、ゆっくりと振り向くジミンだけの美しくて激しいリズム感は、宇宙さえ歪ませて、彼の舞台に流れ込ませる。 「FACE」はそのリズムの律動で作られた。

「FACE」は予想外のアルバムだ。 ジミン自身も、アイドルらしいコンセプチュアルな音楽で活動することになると思っていた。 彼の魅力とリリシズム、パフォーマンス力を最上のイメージで具現化する「BTS」の音楽の中でのジミンは、強くきらびやかだ。 その姿を引き継ぐソロアルバムを発表しても、予想された成功の結果は変わらなかっただろう。

しかし、ジミンはストリートダンスをやめて現代舞踊を始め、再びアイドル練習生になることを選んだかつてのように、原点から再び始めた。 全く新しく始めなければならない時期を判断して推し進める力は、ジミンが持つ数多くの才能の中で最も決定的なものだ。 彼は、最後にはやり遂げる自分自身を信じている。

 

「FACE」はジミンのように大胆だ。 入隊を控え、世界が、もしかしたらジミン自身が最も直ちに何かを見せることを急がせたタイミングで、長い時間と産みの苦しみが必要なセルフプロデュース方式でアルバムを製作した。

万人から愛されるアイドルが、酒に酔い寝入った夜の虚無感と人間関係の疲労感を音楽で表現するのも簡単ではなかっただろう。 しかしジミンはその過程をドキュメンタリーとして記録し、「突いても」のようなファンが途方に暮れるような単語が書かれた作詞ノートを付録として公開さえした。

いつも楽天的で慎重な姿を見せてきたジミンが、このような決心をするまで多くの熟慮と心配があっただろう。 それでもジミンがこのような選択をしたということは、そうしなければならなかったということだろう。

インハウス方式で10ヵ月間、着実にアルバムを作り、ジミンは音楽を通じて解放させたい自我に正面から向き合いながら歌詞を書き、数多くの夜と夜明けを数えながら、すべての音と呼吸でメロディーを作った。 数えきれないほどリテイクし、ジミンならではの音楽の本質を探そうとした。

その過程であまりにも激しく正面から飛び込んだので、精製できない鋭い感情を語りながらも「FACE」には「しこり」がない。 歌を歌うジミンの淡々として孤独なボーカルには、数えきれないほど練り直した作品ならではの落ち着きと観察が感じられる。

 

このアルバムには、内面の傷に向き合う苛烈さと率直さだけが盛り込まれているわけではない。 ジミンの感受性と物語に甘い想像力を加えて誕生したタイトル「Like Crazy」は、もしかしたら「FACE」で最も率直な歌かもしれない。 心の深いところを引き寄せるジミンならではの奥ゆかしく粘りのあるボーカルと、目を離せない絶頂のグルーブがくらくらするほど絡み合ったこの歌は、これまで「少しは分かってる」と控えめに表現されていたジミンの特別な魅力を非常に大胆に表現する。

その誘惑が特に圧倒的に感じる理由は、音楽とパフォーマンスがジミンのムードの中で激しく混ざり合い、爆発するためだ。ダンスから音楽を始めたジミンにとって、パフォーマンスは音楽の後ではなく一対だ。 そのジミンがタイトル曲を作り、メロディーと歌詞を書き、振り付けを提案したのだから、「Like Crazy」には最初から最後までジミンだけの美的なリズムが充満して流れている。 「Like Crazy」はただ一人、ジミンだけが正確に表現できる歌だ。 ただ本人だけが完成させられる歌を持ったアーティストは多くない。

 

ジミンは自分の話とインスピレーションが熟して、アルバムとして誕生する過程で、新しい歴史と夢を抱いたソロアーティストとして生まれ変わった。 ジミンらしさとは何なのかを理解する思慮深いプロデューサーたちと、互いにしっかりと抱き合うように制作しながら、音楽がどれほど喜ばしく偉大なことなのか、改めて悟る時間も過ごしただろう。 だからジミンは時間を巻き戻すとしても、同じ方法でアルバム制作をすると語る。

創作は苦痛だが、芸術家はただその苦痛によってのみ生命を得ることができる。 自分に厳しくなるのは芸術家の本能であり、宿命である。 そしてジミンはいつもその宿命と向き合ってきた。

 

「Set Me Free Pt.2」のミュージックビデオでジミンが体に刻んだリルケの詩「広がる円」にはこのような一節がある。 「広い円を描きながら私は生きていく/その円は世界でだんだん広がる/私はおそらく最後の円を完成できないだろうが/その仕事に私の存在を捧げるのだ」

「FACE」はジミンが存在の全てを捧げて作った「広い円」だ。 まるで月明かりに限界がないように、ジミンが作る美しく真実の円の波長はさらに広く、さらに遠く広がっていくだろう。

K-POPの選択的警備/ チェ・イサクさんコラム日本語訳

こちらのコラムの訳です。

筆者はKPOPコラムニストのチェ・イサクさん @isakchoi312

 


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私は中学生の時, 音楽番組の視聴者の入場を待っている ボディーガードに胸ぐらをつかまれたことがある。 その時のトラウマなのか、30代後半になった今でも警備員を見ると、体と心が萎縮する。 出勤準備は10分で済むが、Kポップファンが集まるオフラインイベントに行く時は、念入りに服を選んでアイロンをかけて着こんで、一つしかないブランドバッグを持ったりもする。 舐められまいという俗物的な自救策だ。


こんな私に昨年、驚くべき事件が起きた。 BTS SUGAのコンサートで警備員がファンに拍手される姿を見たのだ。

猛暑注意報が出された蒸し暑い夏の日だった。 自然の摂理に観客の熱気まで加わり、冷房をかけても会場の中が蒸し暑かった。 その中で警備員と安全要員が一糸乱れずスタンディングエリアの観客に水を配り、気分が悪くなったと訴える人たちを支えて休憩エリアに導いた。 その姿に少し戸惑う気持ちで拍手を送った。 ファンを制圧するのではなく、保護の対象として扱う警備員の姿が新鮮だったからだ。 


SUGAのコンサートは、公演場であるKSPOドーム前のハンドボール競技場を貸し切って待機エリアとして提供したほど、観客の安全と便宜のために慎重に計画し、投資したイベントだった。 そのような条件では警備員の姿が変わる可能性があるということを、初めて知った。

 

最近、Kポップアイドルの警備員による、ファンへの暴力問題が多くの批判を受けている。 ファンサイン会でセキュリティを理由にファンの下着検査をした事件、空港でファンを押し倒したことが昨年相次いで問題視され、Kポップのイメージを悪化させた。 今やKポップを連想すれば、体格的優位を持つ男性警備員が、女性が多数のファンを脅かす絵が思い浮かぶ。 恥ずかしくて残念なことだ。 しかし、皮肉なことに2023年はKポップ産業が異例の規模でセキュリティーに投資し始めた年だった。

 

現実と大衆の認識が異なる理由は、Kポップ産業が警備の対象に、小規模なファンと接触する現場を除外したためだ。

現在、Kポップ産業は大規模な観衆が密集する有料コンサートに限って選択的に警備をしている。 梨泰院惨事で安全に対する社会的警戒心が高まり、コンサート産業が成長し、観客の総合的な満足に注意を傾けるようになったためだ。 チョ・ヨンピル、IU、BTS、イム・ヨンウンのような超大型歌手だけでなく、2023年を基点にKポップコンサート全体のセキュリティー体制のレベルが高まった。

 

私はKSPOドームから徒歩10分の距離に住んでいる。 私の趣味は週末にコンサート会場をうろつくことだ。

不審尋問をする警察のように、観客の入場が円滑に進むのか、休憩空間にヒーターが設置された場合、横に消火器がよく置かれているのかなどを調べる。 随時チケッティングに挑戦してコンサートもたくさん見る。 内部でもごっこ遊びは続く。 セキュリティーにこだわっているからではなく、驚くべき速度で発展しているからだ。

セキュリティーにはシステムと資源が必要だということをコンサート会場の前をうろうろしながら毎回悟る。 しかし、Kポップ産業の選択的警備という方針の下、大衆の目につかない現場では、安全の責任が警備員一人一人の性格と判断に任されている。 ファン対象の暴力問題が絶えない根本的な理由だ。

 

ファンを見下して安全に優劣をつけてきたKポップ産業の錯覚が、高価な請求書として戻ってきている。

経済学者ヘルマン・ジーモンは著書『利益とは何か?』で」(利益とは)企業が履行すべきすべての義務を果たした上で残る残存金額」と定義した。 利益には義務がある。 義務を果たすことは利益になる。

警備員が殴るのではないかと心配するファンがいる限り、Kポップが数百億ウォンのマーケティング費用をかけて具現しようとする幻想的でクールな生き方、多様性と自己肯定の価値は、欺瞞と矛盾と見なされるだろう。

フォトカードか、それともポーカーのカードか/チェ・イサクさんコラム日本語訳

www.khan.co.kr

KPOPコラムニストのチェ・イサクさんによるKPOP商法への批判コラムです。パパゴ訳を整えています。

 

フォトカードか、それともポーカーのカードか

カードで建てた家。 ポーカーカードをピラミッド状に積み上げた紙の塔のことだ。 地盤も柱もないこの偽の家は、すぐに崩れそうな危険な状況と計画を隠喩する。

Kポップ産業もカードで作られている。 今日のKポップ産業の楼閣を建てたのは、まさにランダムフォトカードだ。

フォトカードはその名の通り、クレジットカード大の小さな写真だ。通常、Kポップアイドルの顔を大きく印刷し、アルバムにランダムに入れて売る。 フォトカードは認証ショット文化と調和し、ファン活動の楽しさを増やす要素だった。

しかし、Kポップ産業が急激に規模を拡大し、より多くの「賭け金」が必要な状況になると、面白さも感動もなくなった。 アルバムに入っているバージョン別、メンバー別のフォトカードに、ファンサイン会などのイベントをエサにした非公式フォトカードまで加わり、収集が不可能なほど種類が多くなったためだ。 フォトカードは小さな写真一枚の意味を越え、Kポップ産業の射幸心を煽る経営戦略の象徴となった。

 

ランダムフォトカードの有害性は、企画会社が支配的な位置を悪用して、消費者の選ぶ権利を奪う方向に広がっている。 一例としてSMは、メンバー数が20人を超える所属グループの2万5000ウォンのフィギュアをランダムで販売し、物議をかもしたことがある。 HYBEは、一部の所属歌手が出演する音楽放送の収録について、子会社の Weverseショップで複数バージョンのアルバムをセットで購入しなければ、現場で観覧できないように資格を制限している。 音楽放送の主催は放送局が行うが、企画会社が越権して金儲けの手段とする理解しがたい状況だ。

Weverseショップは商品不良、配送と払い戻し処理の遅れで問題が絶えないが、ファンは仕方なくわずかな当選確率に挑戦し「ルーレット」を回している。 度を越した商法でファンを消費者の役割に徹底的に閉じ込め、権利は認めない矛盾は、いつのまにかKポップ業界でのゲームのルールになった。 国家戦略産業の地位に上がったKポップ業界の主要経営戦略がイカサマに近いという事実は、実に見苦しく恥ずかしいことだ。

 

だまされるのは消費者だけではない。 公正取引委員会は2019年「電子商取引などで消費者保護に関する法律」違反でYGプラスなど、アイドルグッズ事業者8ヶ所に是正命令と過怠金を課した。 しかし、改善の基調なしにますます多くの商品をより巧妙な商法で売っている。

見過ごしてはならない最近の事例として「プラットフォームアルバム」の普遍化を挙げたい。 プラットフォームアルバムはCDの代わりに、オンライン音楽プラットフォームでの鑑賞券を与えるミニアルバムだ。

K-POP産業の環境汚染問題が台頭し、構成品を最小化したプラットフォームアルバムが代案として浮上しているが、現在までは華麗なるごまかしに留まっている。 従来のCDアルバムのバージョンの数を減らさないままプラットフォームアルバムの品目を追加し、全体の販売量を高めているためだ。さらに、ESG経営の名分やコスト削減効果まで取りそろえている。

ますます高度化するKポップ産業の商法が市場を汚染させ、昨年、公正取引委員会はフォトカードの抱き合わせ販売と下請け法違反の疑いなどに対して、大型企画会社を現場調査するなど解決策を探している。 しかし、Kポップ産業の地殻変動の速度に追いつくには力不足だ。

 

HYBEのパン・シヒョク議長は、SM買収戦に敗れた直後に参加した寛勲討論会基調演説*1で、Kポップ発展のために「規模の経済」が重要だと強調した。 しかし、カードで建てた家はいくら大きく建ててもカードの家に過ぎない。

江原ランドカジノの入場券には、このような文句が書かれている。 「過度のゲームは、健康と家族の幸せを損なう可能性があります。 適切な休息と共に責任を持てるゲームをしてください。」

Kポップ産業が繰り広げる過度なゲームが消費者の幸せを害し、ため息をつかせている。 そのため息でカードで建てた家が一瞬崩れてしまうとしてもおかしくないだろう。